「被災地」「被災者」などにつづき、「被災馬」という言葉が使われるようになったのは、震災からそう経っていないときのことだった。
犬や猫などの愛玩動物や、家畜のなかでも牛や豚などが被災した地域は広範囲に及ぶが、馬の場合は岩手や福島――特に、相双(そうそう)地域と呼ばれる、福島県沿岸部の相馬市、南相馬市を含む一帯に集中している。
それは、相馬市と南相馬市で毎年7月、500頭ほどの馬が参加する伝統の祭り「相馬野馬追」が行われており、250頭ほどがこの地域で飼育されているからだ(残りの250頭ほどは野馬追に合わせてほかの地域から参加者が借りてくる)。
地震、津波、原発事故、そして風評被害。福島は、これら4つに襲われた被災地である。
津波に流されず、放射線量が低いエリアで飼育されていても、飼い主が避難さぜるを得なくなったため居場所がなくなった馬も数多くいる。この地域にいる250頭すべてが被災馬と言っていい。
震災後、緊急時避難準備区域に指定され、乳幼児や要介護者の居住が制限され、小中学校が休校になるなどした地域にとどまった馬たちもいれば、県内の他地域や他県に避難した馬たちもいた。
昨年8月9日、日高町の法理牧場に、南相馬市で被災した9頭の元競走馬が馬運車で運ばれてきた。往復の輸送費と、2012年5月末までの預託料を日高町が公費で負担しての受け入れ第一陣であった。
佐藤徳さんとグラスワールド
最初に馬運車を降りたのは、01年のジャパンダートダービーで2着になるなどしたメイショウアームだった。同じ馬運車に乗ってきた馬のなかに、見慣れない風景と多くの日高町職員や報道陣に驚いたのか、タラップで立ち止まってイヤイヤをする栗毛馬がいた。02年のダービー卿CTなどを勝ったグラスワールドである。
そのグラスワールドが、今年の皐月賞前日の4月14日、日高町から南相馬市への帰還第一号として、同市原町区に住む所有者の佐藤徳(いさお)さんのもとに戻ってきた。NHKのニュースなどで報じられたので、ご存じの方も多いのではないか。
「北海道からふっくらして帰ってきました。これで私の生活も、ようやく元に戻ったような気がします」
自身も会津、山形の上山、岩手の一関、そして仙台の仮設住宅と避難先を転々としてきた佐藤さんは、愛馬との再会を心から喜んでいる。物心ついたときには馬と接する日々が当たり前になっていた。相馬野馬追には30年以上参加しつづけている。
グラスワールドは、佐藤さんの自宅からクルマで数分の「深野仲山トレーニングセンター」で元気に過ごしている。厩舎はふた棟あり、うちひと棟は一軒家の一階部分を改装したもので、「世界でただひとつ神棚のある厩です」と佐藤さんは笑う。広い敷地には放牧地と、それを囲む運動馬場がある。佐藤さんによると、おとなしくて、ちょっとビビリな性格だというグラスワールドは、去年日高に到着したときに比べると、穏やかな表情で、気持ちにゆとりがあることがわかる。
ここにはほかに06年の小倉大賞典などを勝ったメジロマイヤー、トミケンマイルズ、オースミスキャン、トガミハリヤー、ニイルセンなど、グラスワールドとともに日高に避難していた馬が戻ってきている。現役時代のファンが、東京から訪ねてくることもよくあるという。
同じ南相馬市にある「松浦ライディングセンター」に繋養されている10頭の元競走馬のほとんどは、震災後、この場所から動かずにいた。ここは海岸から3?ほど離れているので津波の被害は受けなかったが、福島第一原子力発電所の北26?ほどのところに位置しており、昨年9月まで緊急時避難準備区域に指定されていた。
松浦さんとノーリーズン
サブジェクト
繋養されているのは、02年の皐月賞馬ノーリーズン、06年の富士Sなど8勝を挙げたキネティクス、07年のラジオNIKKEI杯2歳Sの勝ち馬サブジェクト、1997年のアーリントンCなどを勝ったブレーブテンダー、02年の京王杯SCなどを勝ったゴッドオブチャンス、03年のクリスタルCを武豊騎手の手綱で勝つなどしたワンダフルデイズ……と、超豪華ラインナップである。このうちノーリーズンだけは、同センター代表の松浦秀昭さんが福島大学に貸し出していた2頭とともに、昨年3月17日、栃木の宇都宮大学に避難していたが、私が初めて取材に行った昨年5月上旬には戻ってきていた。
今年70歳になる松浦さんは、10年前まで33回も野馬追に出場していた。すごいですねと私が言うと、「いやあ、50回出ている人もいますから、たいしたことありません」と謙遜する。今はすっかり恰幅がよくなってしまったが、高校時代の体重は53?で、馬術部で活躍していた。甲冑競馬のほか神旗争奪戦にも参戦し、旗をとったこともあるという。
ここには馬房が臨時のものを合わせると19あり、うち16を野馬追に出る馬のために使っている。毎年馬房一杯の16頭を野馬追に送り出していたのだが、震災に見舞われた去年は4頭を出場させるにとどまった。
「今年は16頭満杯になると思います」
そう話す松浦さんの声は、去年会ったときより、ずっと張りがある。
「7月には野馬追があるもの、と、私たちの体のリズムはそうなっているんです。馬のほうも待っていると思います。去年は鞍もつけずにいましたが、今年はたくさんの人が来て馬を運動させています。去年に比べると、心強いですね」
実は私は昨年の7月中旬にもここに来たことがあった。松浦さんに今回同様の取材依頼をしたのだが、メディアに出ると反響が大きすぎるので勘弁していほしい、でも、遊びに来るだけならいつでもどうぞ、と言われた。そこで、武豊騎手と桜井勝延南相馬市長の対談をセッティングした日、当日になって松浦さんに電話をし、武騎手と一緒に遊びに行っていいですか、と訊いたら驚いていた。そのときノーリーズンの馬房の前で撮った武騎手と松浦さんの写真を大きくプリントし、武騎手にサインをもらって今回の取材時にプレゼントしたら、とても喜んでくれた。
「去年、武さんが来てくれたおかげで、本当に元気づけられました。くれぐれもよろしくお伝えください」
ノーリーズンは今年13歳なのだが、顔などは今も若々しい。松浦さんをはじめとする、日々接する人間たちの声も動きも去年の今ごろより活気づいているのを感じているせいか、馬たちも去年以上に元気がよく、厩舎全体が明るくなったように感じられた。