このところ、私がナビゲーターをつとめるグリーンチャンネルの「近代競馬150周年記念特番」のロケであちこちに出かけ、いろいろな人に会っている。
まず、根岸の「馬の博物館」で学芸員の日高嘉継氏によるレクチャーを受けながらいくつか資料を見せてもらい、番組の方向性を再確認。そのとき、JRAが毎年、安田記念に「日本競馬の父」安田伊左衛門の末裔を招待していることを知り、伊左衛門のお孫さんたちが観戦しているシーンを撮影させてもらえるようお願いした。で、安田記念当日、お孫さんたちと一緒にレースを観戦し、感想を聞いたり、伊左衛門について話を聞いたりした。「安田記念を安田伊左衛門の末裔と一緒に見た」というだけで話のタネになるし、羨ましがられる。それだけでも、人前に出るのが苦手な私が、この仕事を受けてよかったと思える、貴重な体験だった。
翌週、第1回日本ダービーの勝利騎手・函館孫作の孫であり、船橋で厩舎を開業している函館一昭調教師に5年ぶりにインタビューした。2年前、師が管理するカキツバタロイヤルがサンタアニタトロフィーを勝ち、厩舎開業29年目にして重賞初制覇を達成。そのカキツバタロイヤルの馬房の前でいろいろ話したのだが、この馬、贔屓のスマイルジャックと一緒で、普段一緒にいる函館師にはガブガブ噛みつこうとするのに、「よそ者」の私には遠慮をし、差し出された手の匂いをクンクン嗅いだり軽く突ついたりするだけという、とても頭のいい馬なのである。
そして今週、安田伊左衛門の二男四女のうちただひとりご健在の次男・三上平二氏のお宅を訪ねた。取材のアポとりの段階から、91歳の三上氏がお元気なので驚いた。電話をかけると娘さんより先に自身がとって応対し、頭の回転が早く、耳もまったく遠くないので、とてもスムーズに話が進んだ。取材当日もそれは同じで、カメラが回ると、打合せのときとは表情や口調ばかりでなく、顔の角度まで遠くを見やるような感じに変わった。その堂々とした姿に、
――さすが「日本競馬の父」のご子息だ。
と感心させられた。
順調なら、三上氏にお会いした翌日、函館孫作厩舎から騎手デビューした高橋英夫氏に取材することになっていたのだが、高橋氏が体調を崩したため、取材日を変更することになった。史上初めて騎手としても調教師としても通算500勝以上を達成した氏は、今年93歳。日本にモンキー乗りを普及させた故・保田隆芳氏より1歳上、最年少ダービージョッキー・前田長吉より4歳上である。以前、「競馬総合チャンネル」で外厩特集をしたときにご登場いただいたので、本稿の読者のなかにもパッと高橋氏の顔が浮かぶ方も多いと思う。そのとき、インタビューの様子を撮影した編集者に画像を見せてもらったところ、数枚がビシッとカメラ目線になっていた。どのショットでも、
――さすが元リーディングジョッキー。
と思わせられる、ダンディな微笑を浮かべている。
三上氏や高橋氏のように、素敵な人生の大先輩にお会いすると、
――さあ、おれもあと何十年か頑張っていこう。
と無理なく気合が入り、年齢を重ねることが「嫌なこと」から「楽しみなこと」に切り換わる。幸い、物書きは「経年劣化」しづらい職種であるが、例えば、見てくれが大切なタレントでも、容姿が衰えるにしたがって仕事が減っていく……とマイナスになるばかりでなく、中年らしい、初老らしい風貌になるにしたがって別の味わいが出て演技の幅がひろがる……といったように、キャリアを重ねることがどんどんプラスの蓄積になっていかないと、アホらしくてやっていられないと思う。
話がそれた。制作中のグリーンチャンネルの特番は、7月上旬放送予定だ。
取材中、残念な報せを受けとった。前田長吉の従兄弟で、長吉が出征するとき長靴を形見にもらった前田与次郎氏が6月6日に亡くなられた。享年81。また、長吉と同じ部隊に所属し、満州やシベリアの強制収容所でともに過ごした中山武氏が昨年亡くなられていたことも、つい先日知った。90歳だった。
おふたりに話を聞けたことに感謝しながら、この世代の物書きの責務として、競馬史の大切な流れをすくいとり、伝えていかなければならないという意を強くした。
さて、本稿を推敲している最中、オウム真理教特別手配被疑者の最後のひとりである高橋克也被疑者(一般メディアでは「容疑者」と表記しているので、以下それに従う)が、私の自宅兼事務所の近くで身柄を確保されたことを知った。上空を数台のヘリコプターが飛び交い騒がしいので、何かあったのかとニュースを見てわかった。高橋容疑者が捕まったという漫画喫茶は、私が花粉症の治療のため耳鼻科に行くときなど、何度も前を通っているところだ。JRでひと駅隣の川崎に潜伏していたというニュースを見てから、人ごみにまぎれて隠れようとするならこのあたりに来る可能性が大きいと思っていたし、私だけではなく、周囲もそう話していた。
17年の逃亡生活。私が初めての自著を上梓した翌年から、高橋容疑者は逃げつづけてきたのか。彼が過ごしてきた「負の17年間」と自分の17年間を重ねて考えることに意味があるのかどうかわからないが、事件の全容解明に向け、彼の17年間の詳細が見えてくるのを待ちたい。
とりとめのない話になってしまった。