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もうひとつの人馬一体

  • 2012年06月30日(土) 12時00分
 栗毛の馬体がカクテル光線を受けて艶を増し、赤いメンコの下から特徴的な流星が覗いている――。

 6月27日、大井競馬場。第35回帝王賞のパドックに、兵庫・橋本忠男厩舎のオオエライジンが姿を現した。

オオエライジン

帝王賞のパドックを悠然と歩くオオエライジン

 無敗の兵庫ダービー馬として話題になったこの馬は、戦時中にダービー、オークス、菊花賞の「変則三冠」を制し、11戦全勝という輝かしい戦績をおさめた歴史的女傑クリフジを7代母に持つ、いわば「伝説の血統馬」である。

 クリフジの主戦騎手は、同馬で1943年の日本ダービーを20歳3か月の最年少記録で制した前田長吉。長吉は翌44年旧満州に出征し、終戦の翌年、シベリアの強制収容所で亡くなった。その遺骨がDNA鑑定で本人のものとわかり、2006年初夏、八戸の生家に返還された。その返還式から長吉の親族や関係者への取材を繰り返してきた私にとって、クリフジの血が流れるオオエライジンは、長吉の兄の孫で前田家当主の前田貞直さんや、長吉の甥で「前田長吉メモリアルルーム」を主催する前田喜代治さんと同じような存在と言える。

 さらに嬉しいことに、父キングヘイロー、母フシミアイドルはともに鹿毛なのに、オオエライジンはクリフジと同じ栗毛で、大きな流星と左後一白まで7代母の生き写しのようだ。

 オオエライジンは去年の夏にも大井に来て黒潮盃を勝っているのだが、そのとき私は現場に行かなかったので、生で見るのはこれが初めてだった。

 前田長吉を背にダービーを勝った1943年から70年近い年月を経た今なお、人々の夢と情熱がつながれたことの証としてオオエライジンがここにいる。そう思うと、やはり感慨深いものがあったし、エスポワールシチーやテスタマッタといったJRAの一線級にも見劣りしない馬体を眺めているだけで幸せな気分になった。

 帝王賞では流れに乗り切れず、勝ったゴルトブリッツから大きく離された10着に終わったが、まだ4歳である。伸び盛りのこの時期に、ゴルトやエスポ、テスタマッタといった強豪と手合わせしたことは確実にプラスになるはずで、今後のさらなる進化が期待できる。

オオエライジン

レース後、馬房でくつろぐオオエライジン

 世話をする橋本忠明調教師補佐によると、オオエライジンは性格的にかなりキツいところがあり、彼もしょっちゅう噛みつかれているという。

「キングヘイローの仔には、気性の激しい馬が多いんです。それでも、こういう性格のまま育てるようにしています。キツさがなくなると、よさまでなくなってしまう可能性がありますから」

 そう話す橋本さんの表情が、この馬とともに、濃密で、充実した時間を過ごしていることを物語っていた。

 今年2月末からひと月ほど、外厩として知られる滋賀のグリーンウッドトレーニングに放牧に出て、橋本さんが付きっ切りで坂路調教をこなすなど、クリフジから受け継いだ最強のDNAを覚醒させるべく、鍛練が重ねられている。

 クリフジとオオエライジンに寄せる私の思いと、帝王賞のパドックで「オオエライジンって綺麗だね」と話していたグループがいたことを伝えると、橋本さんはとびっきりの笑顔で喜んでくれた。クリフジのダービーを見たという年配の人に「こいつはクリフジにそっくりだ」と驚かれた、と教えてくれたときの彼の表情も、なんとも言えずよかった。

 普通、「人馬一体」というと騎手と馬とが一体になった様を指すが、橋本忠明調教師補佐とオオエライジンの「もうひとつの人馬一体」とでも言うべきものが、この馬の強さの背景にあることがよくわかった。

 次走は、地元の兵庫では酷量を背負うことになるため、9月29日のシリウスS(阪神ダート2000m)から11月4日のみやこS(京都ダート1800m)というローテーションを歩む予定だという。

 クリフジの末裔の兵庫ダービー馬を、いよいよ中央の舞台で見ることができるのだ。楽しみである。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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