極めつきの大横綱と言えば双葉山と大鵬だが、2人の記録を超えて9度目の全勝優勝を達成した白鵬は、敬愛してやまない2人の上に立つことは恐縮ですけど光栄ですと、その喜びを語った。そしてこの日、ロードカナロアが高松宮記念をコースレコードで勝ち、スプリントGI3勝目を上げ、日本初の記録をつくった。世界を制した豪脚に、国内に敵なしの声はさらに高まった。
白鵬もロードカナロアも、これから無敵の強者としての道を進んでいくことになる。
では、どういう心境がそこにあるのか。真の王者とはどういうことなのか。
ここで思い起こすのが、中国の古典「荘子」の中にある木鶏(もくけい)の話だ。
王様の闘鶏用の鶏をあずかって訓練をしていた男に、王様ができあがったかと問うのだが、その折の返答がこうなのだ。
むやみに威張ってまだだめと述べた10日後に、今度は、他の鶏の音がしたり影がさしただけで、さっと身構えるからだめと。さらに10日たってたずねられると、他の鶏を近づけるとにらみつけて気を張るからまだだめと答えたのだ。そして、その10日後、もう完璧です。他の鶏が鳴き声を立ててもなんの反応も示さず、離れて見るとまるで木製の鶏を見るようですと答えたのだった。
そこで述べている王者とは、私心を捨てて自然にしたがい無為の境地になることで、そうであれば、どんな不測の事態が生じてもあわてず自在に対応できるというのだが、高松宮記念のロードカナロアにそんな境地を見る思いがした。香港スプリントのような好スタートではなかったので、一瞬どうなるかとの感じも抱いたが、ロードカナロアも背中の岩田騎手も、全くの自然体だった。平静に的確にことに処す王者の姿がそこにあった。負けられないという人の思いはあっても、馬が全てを知っている、何の迷いもないという言葉が、この人馬の戦う姿の中にあるのだ。