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老成した走り

  • 2013年03月30日(土) 12時00分
 今年3月17日の阪神大賞典で、11歳のトウカイトリックが5着と健闘した。

 サラブレッドの11歳は、人間でいうと何歳ぐらいに相当するのか。よく、3歳春のダービーの時期で夏の甲子園大会に出る18歳ぐらい、と言われる。また、サラブレッドの寿命が20数年、人間が80年ほどなので、特に馬齢を数え年で表記していたころは、馬齢×4が人間の年齢と言われていたし、私もよくそう説明していた。そうすると、旧4歳は16歳ということになり、前述した甲子園球児の18歳とはズレてくるのだが、サラブレッドと人間では成長曲線のカーブがずいぶん違うようなので、まあこれは仕方がない。

 間違いないのは、サラブレッドは4歳ぐらいまでは人間の数倍の速さで成長し、それから成長速度が遅くなる、ということだ。

 そして、成人する5歳ぐらいから10歳代前半までは、「衰え」という点では人間と同じぐらいか、よりゆっくりになるようだ。現に、馬術の大会などでは10歳代の馬がバリバリの現役としてやっている。しかし、20歳近くになったら急に老け込み、また人間の老いる速度を追い越していく。

 肉食動物から逃げて生きるDNAが組み込まれているのだから、生まれたらすぐに立ち上がることの延長で、早く大人になるのは当然か。それからは長く青年期と壮年期を送り、最後はまた幼年期、少年期を巻き戻すかのように生き急ぐ−−と書いていると何だかカッコよく感じられ、自分もそうありたいと思ってしまう。

 自分の話は置いておき、では、競走馬はどのくらいから「高齢馬」と呼ばれるようになるのか。今の数え方では7歳ぐらいか。いや、数え年の時代も7歳で高齢馬と呼んでいたような……となると、今の6歳だ。6歳で高齢というのは明らかにおかしい。母胎にいるときの栄養状態や、幼少期から口にする飼料、そして調教技術の進歩などによって競走寿命が長くなり、「高齢馬」のラインも引き上げられたのだろう。

 今週日曜日、3月31日のダービー卿チャレンジトロフィーに8歳のスマイルジャックが出走する。57.5キロのハンデは、贔屓のスマイルが高く評価されていることの証であるから嬉しくもあるが、もうひと声、57キロにしてほしかったという思いもある。まあでも、2着になった昨秋の京成杯オータムハンデも57.5キロだったし、相手関係からして妥当なのだろう。

 スマイルは、馬齢に単純に4をかけたら32歳。旧表記だと36歳か。

 確かに、競馬場での走りを見たり、馬房にいるときさわったりしていると、「見てくれも気持ちも若い、30代前半のアスリート」という感じがする。

 まだまだ老け込むのは早すぎる。確かに、5歳や6歳のときに発揮した破壊力のピーク値は下がっているだろうが、総合的な能力そのものはあまり落ちていない。競馬は、コップ一杯に入れた水を少しずつ下にこぼしながら馬場を回り、ゴールする瞬間コップが空になるのが理想だ――と以前、河内洋調教師から騎手時代に聞いた。そのコップの大きさ自体は変わっていないが、水がちょっとこぼれにくくなったり、少ししか傾けていないのにドバッとこぼれるようになったりと使い勝手が悪くなっている、という感じだと思う。

 2歳でデビューしてから年に1勝ずつしてきたのだが、去年はゼロ勝に終わった。かつてやり合ったカンパニーが初めてGIを勝った8歳になった今年、その再来と呼ばれるぐらいの走りを見せてほしい。

 ダービー卿の次は船橋のかしわ記念に向かい、そして今年も安田記念に出るようだ。

「老い」というと、イコール「衰え」というマイナスのイメージが先に来るが、日本語には「老成」という素晴らしい言葉がある。

 失ってきた、あるいは捨ててきたと言うほうがふさわしい場合もあるだろうが、いずれにしても今の自分にはない「若さ」を取り戻そうとか、若者のように振る舞おうとするのではなく、その年齢、馬齢なりにキャリアを重ねて熟達した強さを、スマイルの走りに見たいし、自分もそうありたい。

 私は今も札幌にいる。両親の介護に関することで、まだこちらでやらなければならないことがあるので、スマイルの応援には行けそうにない。

 入院中の母が今週、院内の別の病棟に移動した。そうなると主治医もソーシャルワーカーも前とは別の人になり、移動した日に今後の治療方針について簡単な打ち合わせをした。これまで病名は、潰瘍性大腸炎と前頭葉性運動失調だったのだが、後者が進行性核上性麻痺になった。10万人に数人という難病である。

 5、6年前から右手の動きが鈍くなり、言葉が少しゆっくりになった。花柳流の踊りに熱中し、話好きだった母の姿が、そのころから変わり始めた。2009年に父が入院し、毎日のように見舞いに行っていたのだが、夏に潰瘍性大腸炎で入院。3カ月ほどで退院したが、要介護の生活になり、昨春、また入院して今に至る。右手はほとんど動かず、歩行もおぼつかなくなり、言葉は、私か、前の病棟で言語リハビリを担当していた人以外は理解するのが難しいほど、出づらくなった。

 病室を移った日、新たな病棟の看護師が一生懸命母に話しかけてくれた。彼女やほかの人には母が繰り返し「肺炎が……」と言っているように聞こえているのだが、それは実は「退院が……」だった。なかなか意味が通じず苛立った母は、そのうち「アー」と「ウー」しか言えなくなり、声を上げて泣きだした。その「アー」という泣き声でさえ出づらい様子を見ていると切なくなった。

 母は今年喜寿を迎えた。母にとっても老成した考え方、生き方があるはずで、尊厳あるおばあちゃんでいられるよう、手伝っていきたいと思っている。

 雪がとけて、住宅地の細い道でも路面のアスファルトが見えるようになってきた。もうすぐ遅い春が来る。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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