高速の芝コンディションが整えられたところへ、伏兵が猛ペースを演出する逃げを打った。最後はかってに7秒1差の大差しんがりに沈んだそのサトノシュレンの逃げは、有力馬の位置した実際のレースの流れとはほとんど関係ない。しかし、引っ張る馬がいると自然と後続のスパートのタイミングも早くなる。この点でサトノシュレンは大きく関係した。
レース全体のバランスは2マイルを2等分して「1分35秒2-1分39秒0」=3分14秒2。2000m通過は1分59秒7。2400m通過は2分25秒0だった。序盤のペースは、サトノシュレンがただ強引に飛ばしただけであまり重要ではないが、そろそろ後続がサトノシュレンとの差を詰め始めた2400m通過地点の「2分25秒0」は、重要な意味がある。春の天皇賞史上、最速である。先導したサトノシュレンは早々と4コーナー手前でいなくなったが、勝ったフェノーメノ、2着したトーセンラーなどのスパートは必然的に早くなっていた。それを見ながらのゴールドシップのスパートも、いつもの最後方追走ではないのに、いつもより早かった。
勝ちタイムの3分14秒2は、2006年ディープインパクトの3分13秒4、昨11年ビートブラックの3分13秒8、2007年メイショウサムソンの3分14秒1に次ぐ史上4位。
ただし、各馬のスパートが早かったから、直線、もうフェノーメノとトーセンラーのマッチレースに持ち込まれた3000m通過地点(菊花賞に相当する)はなんと「3分01秒6」である。これはビートブラックが3コーナー過ぎから猛然とスパートして引き離す特異なパターンに持ち込んだ昨年の「3分01秒3」に次ぐ、史上2位の通過記録である。
3200mのレコード3分13秒4をもつディープインパクトは、後半になって猛加速のスパートだったから、レースの2400m通過は2分28秒6にすぎず、もう先頭に立っていた3000m通過も「3分02秒1」である。そこから11秒3だった。今年の最終1ハロンは12秒6であり、ビートブラックの最終1ハロンも12秒5だった。
追い込みタイプの連勝は難しい。どこで仕掛けて出ようとレース全体の流れに必ず左右される運命にある。追い込む形で連勝を続けたのは、史上ディープインパクトくらいである。そのほか多くの連勝記録をもつ馬は、今回のゴールドシップのような追い込み一手型ではなく、スピードを武器に自分でレースを作れる馬がほとんどである。
フェノーメノを称える前にゴールドシップの敗因を探すのは変だが、これは観戦記ではないから許してもらおう。断然の人気を集めたゴールドシップ(父ステイゴールド)の敗因を考えたい。
まず、調子。これは決してピークの状態ではなかったとしても主要な敗因ではない。状態は決して悪くなかった。ゴールドシップはマシンではないから、もしかすると心身のリズム一歩だったかもしれない。しかし、マシンとて好不調の目に見えないリズムの狂いはあるくらいだから、生命体の馬や人間は仕方がない。
高速の芝に対する不安は、多くのファンが心の中で感じていた。それが現実の死角となって露呈したのである。ゴールドシップにとっては、前半から全体の流れが速すぎた。今回は「最後方追走はまずい」、それが内田騎手を含め陣営全体の読みだったろう。前半から少しずつ間合いを詰めて行こうとしていた。ゴールドシップの形はもうこの時点で崩れていた危険がある。悪いことに、先に記したようにゴールドシップのふだんの勝負どころである2400mの通過は、史上最速の2分25秒0である。そこでは前にいたフェノーメノもトーセンラーもスパートを始めたが、後方のゴールドシップが4コーナーでフェノーメノの直後まで進出するのは菊花賞(2400m通過ラップは2分26秒8)や、追走のペースが楽だった有馬記念とはちがって、この地点に至るまでがすでに助走ペースではないのだからから、きつかった。
豪快にまくって進出ではなかった。3000mの日本レコードに相当する3分01秒6が記録されるような全体に息の入りにくい高速レースは、序盤に行き脚がつかずに置かれてしまう(最初からロスを受け入れる)ゴールドシップにとって、最悪の流れなのである。
レースの上がり3ハロンは、みんな速くスパートしたから「36秒3-12秒6」にまで落ち込んでいる。後方5〜6番手のまま無理にスパートせずに待っていたら、ゴールドシップの届きそうな数字である。でも、これはタイムトライアルではなくレースだから、実際には無理である。
最後方近くで、なによりも馬のリズムを大切にし、負担なく追走する追い込みは鮮やかな戦法であり、馬との呼吸を大切にするベテラン騎手の得意とする芸術的なそれであるが、それが通用しないのが長距離の高速レースである。これはゴールドシップの得意とするレースではないということである。今回はその得意とする戦法の抱える死角が前面に出て5着に沈んでしまったが、父はステイゴールド、影響力の強いと思われる母の父はメジロマックイーン。完成され、もっと強くなるのはこれからである。やがて、もっと高いカベも乗り越えたい。
勝ったフェノーメノ(父ステイゴールド)を絶賛しなければならない。セントライト記念を制したが、菊花賞には向かわず、古馬相手の天皇賞・秋を快時計で2着し、ジャパンCも小差の5着したが、あえて有馬記念には出走しなかった。あの時点では完成度は低かったろう。いま無理を強いてはならない…の判断を大切にして、4歳になって日経賞を迎えたフェノーメノはたしかに馬が違っていた。さらには、この中間はもっと進化していたのである。
陣営は、ゴールドシップより前に位置できる自在の脚質が、高速上がりの珍しくない京都では圧倒的に有利であることを確信していた。しかし、高速の上がりが記録されるスローの3200mではなかった。結果として先頭に立った3000m通過地点で3分01秒6の快時計が記録されるような厳しいレースで、最後の1ハロン12秒6と鈍りながらも快勝してしまったから、フェノーメノは陣営が期待していた以上に強いレースを展開したのである。道中の位置から推測して、この馬自身の2マイルの前後半は「1分37秒1-1分37秒1」の理想バランスに限りなく近いだろう。これは文句なしの実力勝ちである。ゴールドシップが崩れて台頭したのではない。
2着トーセンラー(父ディープインパクト)は、3歳のクラシックシーズンにかなり負担の大きいローテーションを組んだため、ちょっと伸び悩みの時期はあったが、4歳後半から盛り返して天皇賞・春をこの時計で2着は見事。こういう距離をこなしてみせたが、明らかに2400m級がベストと思えるから、これから秋になってAグループの有力な一員としてビッグレースに出走できるだろう。ディープインパクト産駒は、激走しすぎるから好調期が短いのではないか、とか、スピード系に出た方が大きいレースを勝ちやすいのではないか、とか、まだまだつかみきれない点が多いが、トーセンラーの快走は生産界に大きな自信をもたらした。
生産界といえば、ステイゴールドは昨春、200頭を上回る交配数を記録している。必ずしも母の父メジロマックイーンや、パーソロン系にこだわる必要などないことが、ナカヤマフェスタやフェノーメノの大活躍で改めて明らかになったから、いま誕生しつつあるステイゴールド産駒を手がける牧場の希望は果てしなく広がることだろう。