本馬場入場の時間になった人気のハクサンムーン(父アドマイヤムーン)は、なかなか出てこない。馬場入りが遅くなったうえ、馬場の入り口で立ち止まると、突然、気難しい仕草を始めた。今回が初めてではなく好調時に見せる仕草(酒井学騎手は慣れている)というが、馬場入りを促そうとすると、立ち上がるようにその場でくるくる急旋回を繰り返し、どうしても馬場に入ろうとしない。約5分間ぐらいだったか。単勝オッズ210円の断然人気馬が、きわめて珍しい行動に出たから見守るファンはびっくりした。
立ち止まって動かなくなる癖なら、スイープトウショウや、ずっと以前の菊花賞馬イシノヒカルや、わりに多くの馬の性癖として知られる。世界の名馬ではハイペリオン(遺伝子を持つ馬など山のようにいる)にはそういう癖があり、ハイペリオンの直系祖父になるベイアード(1906年生まれ)など、ふと立ち止まると30分も動かない癖があったと伝えられる。
しかし、その場でくるくる回る旋回を始め、それを何度も繰り返すハクサンムーンの不思議な性癖は、いったいなにを伝えたかったのだろう。不思議である。馬房の中の旋回癖は知られるが、これはぐるぐる歩きまわる形に近く、その場で回転する旋回は珍しい。この癖は最近、「再発して強くなっている…」(西園調教師)といわれる。もっと大活躍すると、ハクサンムーンのこの奇妙な旋回癖は、やがて伝説として語り継がれるかもしれない。
そんなレース前の出来事があったからか、気負いが抜けたためか、昨年は飛ばし過ぎて失敗したのをハクサンムーン自身が覚えていたのか、スタートしたハクサンムーンのダッシュは、内のフォーエバーマークとリズムを合わせるように「11秒9-10秒4…」。
最初の2ハロン「22秒3」は、昨年のハクサンムーンのダッシュ「21秒5」よりなんと0秒8も遅いセーブした出足である。良馬場(06年は実際は不良馬場)のアイビスサマーダッシュとすれば、史上もっとも穏やかなゆっくりスタートだった。ほかの距離と異なり、快速サマーダッシュ1000mの0秒8は、5馬身以上にも相当する。
同じくすっと好スタートを切った牝馬フォーエバーマーク(父ファルブラヴ)の村田一誠騎手は、現役きっての直線1000m巧者として知られる。1000mが初めてのフォーエバーマークに無理なラップを踏ませるわけがない。やっぱりなだめて、なだめて先行した。
レースは、「11秒9-10秒4-10秒6-10秒3-11秒0」=54秒2
そのバランスは「22秒3-(10秒6)-21秒3」。前半があまりにも楽だから、最後の400mには史上最速の21秒3の加速が生まれた。最後の1ハロンには同じく史上初の高速ラップ「11秒0」が刻まれる珍しいサマーダッシュとなった。
未勝利馬だって、行かせれば前半21秒台で行くだけならたやすい。しかし、ただ飛ばしたのでは1000mを「54秒前後」で乗り切るのは難しくなり、後続の秘められたスピード能力を引き出す役目を担わされるだけ。そんな1000mの戦法が各陣営の教訓になりすぎたかもしれない。
主導権を握ったハクサンムーンと、フォーエバーマークに、後半の2ハロンを21秒3〜4(上がり3ハロンは31秒9〜32秒0)で加速されては、後続は(手も)足も出しようがない。
初の直線1000mを、54秒3(上がり32秒0)で乗り切ったフォーエバーマークは、1200mの持ち時計もこの相手に入ると決して速くもない1分07秒5であり、スプリンターという血統背景でもない。好スタートから、それこそ他を幻惑するような巧みなペースに持ち込んで先行し、後半スパートに結びつけた鞍上のリードは大きかった。
3着に押し上げたリトルゲルダ(父クロージングアーギュメント。その直父系3代前はインリアリティ)は、やっぱり出足もう一歩。それどころか、自身最高の54秒4を記録したデビュー3戦目の、あまりにも物足りなかった最初の2ハロン22秒5よりもっと遅い「22秒6」。これでは後半推定「21秒7」の脚を使っても、前の2頭との差を詰めるどころか、3着争いから抜け出すのが精いっぱい。前半につけられた差は、逆に広がっていた。
直線の1000mで3馬身半差は絶望的であり、これで表面上は新潟1000m[2-1-2-0]となったが、懸念されたように自身の1000m戦の中身は進化していない。スプリンターの典型という背景でもないから、1200〜1400mでパワーアップが今後のテーマだろう。
2番人気のパドトロワ(父スウェプトオーヴァーボード)は、昨年と同じように函館で追ったあと直前に新潟入りの作戦を取った。決して気配は悪くはなかったが、迫力にあふれていた昨年と比べると、死角である硬さこそ少なかったものの、気迫が乏しいように映った。もちろん、直接の敗因は昨年より3キロ増の59キロの斤量だが、昨年は「22秒0-32秒2」=54秒2。今年は「22秒5-32秒9」=55秒4。中身の差が大きすぎる。
吉と出るか凶と出るか難しい直前の長距離輸送作戦が、残念ながら今年は吉とはならなかったのではないかという気がした。同日の函館のクイーンS。最低人気で2着に突っ込んだ牝馬スピードリッパー(父ファルブラヴ)のように、冒険の直前輸送が結果オーライのこともあるが、成功例が多ければ、直前の長距離移動作戦はもっと一般的になるはずであり、直前の輸送作戦は、プラスと出るか凶に転じるか、その結果は極端なケースが多いように思える。
伏兵スギノエンデバー(父サクラバクシンオー)は、すっきり絞れて454キロ。これならひょっとして大駆け可能かとも思わせたが、出負けは別として、フォーエバーマークのような先行タイプの初の1000mは対応しやすいが、ベテランの差しタイプの直線1000mはきびしい。
とくに近年のアイビスサマーダッシュで好走する馬のほとんどは、それなりのダッシュ力を持ちつつ、なおかつ後半に再加速できるスプリンターであり、いつの年にも増して前半が落ち着いてしまった今年は別としても、飛ばした馬が失速してくれる1000mではない。戦法とか、相手のペースは関係ない。自身が自力で「54秒前後」で乗り切らないことには、通用する道理がないのがオープンの1000mである。