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Dr.コパさん(2)『ラブミーチャン、2度目の挫折と風水のパワー』

  • 2013年10月14日(月) 12時00分
中央デビューが叶わず、未出走のまま地方・笠松競馬へと移籍したラブミーチャン。デビュー戦、地元重賞を圧勝し、失いかけた輝きを一気に取り戻します。ここでDr.コパさんは「2歳チャンピオン」の目標を掲げ、悔しさを晴らす戦いが始まります。しかし、ラブミーチャンに、再び挫折が訪れることに…。(10/7公開Part1の続き、聞き手:赤見千尋さん)

赤見 :笠松に移籍して、10月7日の新馬戦を圧勝。続く30日には重賞ジュニアクラウンも勝利。それを見て、コパさんの「2歳の日本一にしてしまおう」という夢が広がったということですが。

おじゃ馬します!

「2歳の日本一」を目指し動き出した陣営


Dr.コパ :そうそう。それで、スケジュールを僕が組んだの。まず、中1週で11月14日の中央に行くと。京都の2歳500万下。それから9日後の11月23日に、園田の兵庫ジュニアグランプリ(交流GII)。そこを勝って、12月16日の川崎の全日本2歳優駿(交流GI)に行くと。

赤見 :すごい積極的なローテーション。

Dr.コパ :「柳江先生、いいですね。このスケジュールです」と言ったら、今でも覚えてるよ、「はぁ、はぁ、はぁ」と言うだけ。あのおしゃべりな先生が、何にも言わないんだよ(笑)。

赤見 :相当びっくりされたんでしょうね。だって、10月デビューで、そこからたった2か月半で2歳の日本一になんて。

Dr.コパ :だから、誰も信用しなかったよ。岐阜にいる大学の友達で馬主をやっているやつにも話したんだけど、「お前、変わってねぇよな。大学の時からほら吹きだったけど、10月にデビューした馬を12月に日本一にする!? そんなもの、完全にほら吹きだぞ」って。

赤見 :普通なら思いつかないような発想ですもんね。

Dr.コパ :あの時調べたらね、ドバイの1回目の締切日が、兵庫ジュニアグランプリ後の11月25日あたりだったの。それで、「ドバイも申し込もう」と。それと中央の桜花賞もね。クラシック登録も全部して。

赤見 :…すごい。

Dr.コパ :地方馬でそんなことってないでしょう? だから、何か感じたんだよね。10月末のジュニアクラウンの時、ゴール前の柵の前に立ってレースを見ていたわけだよ。ゲートには入らないし、スタートしたらヨレて、隣の馬にぶつかりながら出ていって。

それなのに、浜ちゃんは持ったままだし、後ろが来るのを待ってスッと抜けてきたからね。「あぁ、すごいな。あんなスタートだったのに、ゴール前に来たらちぎってるんだから」と思って。それを見て、密かに「京都の1200mなら勝てる」と思ったんだよね。

それは、中央に捨てられたというのもあったんだよ。腹の中ではね。(須貝)尚介君に対してじゃないよ。分かるでしょ?

赤見 :分かります。中央の舞台で見返したいという。

Dr.コパ :うん。京都で、中央の馬たちの中で勝てるのかを見てみたいって。「中央はこんな馬を見限ったんだぜ」というね。そうしたらもう、見事にレコード勝ちしたわけよ。

おじゃ馬します!

京都で中央勢相手にレコード勝利!


赤見 :この勝利は相当インパクトがありました。

Dr.コパ :あったみたいね。みんなざわざわしてたもんね。まして「どうしてそんな馬が笠松にいるんだ」となるわけじゃない。だって、中央にいたこともほとんど知られていないんだから。

赤見 :そうですよね。

Dr.コパ :今でも覚えているけど、1番枠でポンっと出て。サウスヴィグラスの弟(ベネラ)とか、血統のいい馬も一緒に走っていたわけですよ。それで直線で抜けて、「よっしゃ、追えー!!」って。そこからヒューッと離していったからね。「うわ、すごいな」と思ったんだよ。

柳江さんも初めて中央で勝ったわけだし、馬も舞い上がってしまってさ。跳んだりはねたり、口取り写真が撮れない(笑)。もうそれで「僕の立てた計画は間違いない」と思っちゃったわけよ。

それで、中8日で園田の兵庫ジュニアグランプリに行って。ちょうど僕は仕事で現地に行けなくて、うちのスタッフが行ったの。そうしたら、勝ったでしょう。スタッフが気を利かせて、口取りで持つ紅白の綱とゼッケンだけ先に持って帰ってきてくれてね。

赤見 :真っ先にコパさんに渡したいって。

Dr.コパ :そうそう。綱ってなかなか持てないだろうからって。それで、2人で道路で綱を持ってね(笑)。だから、もうそこまで行っちゃうと、僕の立てたスケジュール通りじゃないかと思って。ドバイにも登録して、川崎の全日本2歳優駿に行ったのね。

赤見 :ここで圧巻のレコード勝ち。しかも、史上初の南関以外の牝馬の勝利という。いや〜、すごい馬が出てきたなって思いました。

Dr.コパ :でもね、この時は負ける気がしなかった。北海道のビッグバンも強いと思ったし、中央の馬だって強いと思ったけど、スタートさえ良ければ大丈夫だろうと。あの時は、ものの見事にスタートもハマったんだよね。デビュー戦と2戦目は出遅れたけど、残りの重賞レースは全部出遅れてないんだよ。不思議なんだよね。

赤見 :この勝利で、2歳時は無敗の5連勝。中央・地方を通じて2歳馬として日本競馬史上初の年度代表馬に輝きました。コパさんの目標が実現されましたね。

Dr.コパ :本当に年度代表馬になっちゃったもんね。あれはちょっと、僕も驚いた。だって地方の雄フリオーソがいたんだよ。フリオーソは、その前2年連続で獲っていたわけでしょう。

赤見 :そうですね。まさに地方を代表するような馬が歴代受賞してきて、重みがありますよね。

Dr.コパ :あるよね。中央の馬相手に何かの交流重賞に勝たなければ、獲れない賞ですからね。だから、あの頃はすごかったもん。マスコミもたくさん来てね。NHKも来ていたし、男性誌まで取材に来たというんだから。

赤見 :本当にすごかったです。競馬以外のマスコミに取り上げられていましたものね。

Dr.コパ :すごかったよね。でも、そこからあの仔は、再び挫折を味わうわけですよ。

赤見 :はい。桜花賞トライアルのフィリーズレビュー。2番人気でしたが、直線で失速してしまい12着に。初めての芝のレースでもありましたが。これで、思い描いていた未来図がいったん白紙になってしまうという。

Dr.コパ :ねぇ。レースの後、そのまま(笠松に)置いておいたのでは可哀想だなと思って。休ませてもいいかなと思ったんだけど…。

そこで思い出したのが、「生まれ故郷に帰す」という風水術。これはすごくいい方法でね。人間もそうなんだよ。運が落ちたら故郷に帰れと言うの。そうすると、自分が生まれ育ったところで、細胞というのが戻るじゃない。そういうのって、動物にはすごく必要なの。

おじゃ馬します!

すごくいい風水術を使ってみようと…


赤見 :そうなんですね。

Dr.コパ :よく、男の子が女の子を口説くときに、「君が生まれた年のワインだよ」ってあるでしょう? 生まれた年のワインって、すごく良い時と悪い時があって。運が落ちている時に生まれ年のワインを飲むと運が上がってくる。ところが、運の良い時に生まれた年のものを飲んでしまうと、今が生まれた時より運が良ければ、元に戻ってしまうわけ。

赤見 :あっ、そういうことなんですね。

Dr.コパ :うん。そんなことから、北海道に戻したのね。4、5か月置いておくと、自分が育っていた水とか空気を思い出すんだよね。でも、単純に生まれ牧場に戻したんじゃなくてね。この時のラブミーチャンは“帰省”といってもまったく休むわけじゃない。名付けて「門別留学」をさせたんだ。(Part3へ続く)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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