菊人形の季節、吉川英治の句に「菊作り、菊見る時はかげの人」というのがある。展示されている菊人形に感嘆の声があがるのを傍らで見ている作者が、ひそかに目頭を押えている姿が目に浮ぶ。努力、精進という言葉もその場には合う。この精進、その正しい姿とはどんなものか。結果に振り回されずに、結果に至る過程を大切にする、そういうことではないか。ゆとりのない努力、目の血走った努力は、正しい努力ではないと思う。
この結果に至る過程と言えば、競馬でも重要なことだ。どう一頭の馬を成長させ、仕上げてレースに出すか、言ってみれば競馬そのものと言ってもいい。その過程の中でも大変なのが、怪我とか故障、これは競走馬にはつきものだ。多くの目は、近況、近々の成績にそそがれるので、レースから遠ざかっている馬は忘れられていく運命にある。ところが、本当は素質豊かな馬であり、故障を克服させて陽の目を見させてあげたいと、担当する者は精進しているのだ。焦りがあったら続けられない。結果に至る過程を大切にする姿がそこにはある。こういう馬が再びレースに登場するときは、それほど大きな注目を集めることはない。所謂、穴馬的存在になっている。
GI競走のはざまにあるアルゼンチン共和国杯は、そうした穴馬が出現する下地が十分にあるレースで、事実、多くの波乱を生んできた。かつて2年連続して10番人気の伏兵で勝った藤田伸二騎手を覚えているだろうか。その2年目、1993年の勝ち馬ムッシュシェクルは、屈腱炎で1年4か月もの休養があったり、夏場が弱かったりして出世が大きく遅れた馬で、準オープンの身で格上のこの重賞に出走していた。人気薄の気楽さもあったろうが、追い込みに活路を見い出し見事勝利し、その後日経新春杯、阪神大賞典と3連勝、春の天皇賞3着まで上りつめたのだった。結果に至る過程を如何に大切にしたか、菊見る時はかげの人の心情も、そこにはある。