◆最後の力を振り絞って愛情を注いだ 2001年のローズS(GII)、2002年の阪神牝馬S(GII)など重賞4勝を挙げ、2002年度の最優秀4歳以上牝馬に選出されたダイヤモンドビコーが、1月29日の朝、天国に旅立った。16歳だった。
「社台ファームからウチの牧場に来て5年ほどたつでしょうか。重賞を勝った馬だけあって、他の馬にはないオーラがありました。品もあって、顔付きもどこか違っていて、雰囲気のある馬でしたね。プライドも高くて嫌なことは嫌と主張する面はありましたけど、人間に対しては我儘ではなかったですし、扱いやすい馬でしたよ」と、村上欽哉牧場の村上愛さんは、ダイヤモンドビコーの思い出を、悲しみの中で語ってくれた。
ダイヤモンドビコーの身に変化が起きたのは、昨年の春のこと。父キングカメハメハの子の受胎が確認されて間もなく、腸念転を発症してしまったのだ。開腹手術は成功し、お腹の子も奇跡的に無事であった。
しかし「その後もずっとお腹がモヤモヤしていて、飼い葉もあまり食べられず、水もあまり飲まなかったんですよね。特に妊娠後期は、ひどくモヤモヤしていました」と、愛さんが言うように、妊娠中の体調は決して万全ではなかった。
辛い体を抱えながらお腹の子を育み続けてきたダイヤモンドビコーは、予定日より約1か月早い1月26日の夜、男の子を出産した。
「こんな状況でしたから、生まれてきた子は生きていないかも…という最悪の状況も考えていました」という愛さんの言葉通り、出産直後の子馬は呼吸も弱くグッタリしていた。小さな体をタオルでゴシゴシと拭き、酸素吸入をし、ジェットヒーターで体を温め、駆け付けた獣医にも処置をしてもらった。手厚い看護の末、ついに子馬は立ち上がり、母馬のお乳を自らの力で吸うことができた。
「お腹が痛くて苦しかったと思うのですが、生まれてきた子馬の体を愛情たっぷりの様子でペロペロと舐めていましたし、あまり張っていなかったおっぱいを吸いなさいと、子馬をちゃんと誘導していました。子供を可愛がる本当に良いお母さんで、パーフェクトでしたね」(愛さん)
現役時代、いつもひたむきに走っていたダイヤモンドビコーは、繁殖に上がってからも、子供にひたむきに愛情を注ぐ母親だった。
けれども、母子の幸せな時間は長くは続かなかった。時間がたつにつれ、ダイヤモンドビコーの腹痛は激さを増し、出産翌日に緊急開腹手術が施されることになったからだ。痛みに苦しみもがく母と一緒には病院に連れてはいけないため、母子は離れ離れになった。そしてこれが、永遠の別れとなる。
日高地区農業共済組合三石家畜診療センターで、昨年春に続いて2度目の開腹手術を受けたダイヤモンドビコーは、一時は快方に向かうかに見えた。しかし、29日の朝に容体は急変し、これ以上苦しませないためにという判断のもと、安楽死の措置が取られた。
◆新しい母は芦毛の乳母 母と別れた子馬は、はじめは愛さんがお母さんがわり。一晩一緒に馬房で過ごした。「ミルクが飲みたくて私の方に来るのですが、悲しいことに私は母乳が出ないですからね。哺乳瓶でミルクを飲ませようとするのですが、それは違うって怒って飲んでくれないんですよ。夜中にようやく飲んでくれた時にはホッとしました」
そして、ダイヤモンドビコーの代わりにやって来たのは、芦毛の乳母だった。
「よほどお腹がすいていたんでしょうね。鹿毛だったお母さんとはまるで毛色が違うのに、乳母の姿を見た途端に一目散に駆け寄っていきましたから。その様子に思わず笑ってしまいましたけど、やっぱり寂しさはあると思うんですよね」愛さんの声はしんみりとしていた。
「1か月も早く生まれた場合はもっと体が未熟なのですが、この子は脚もちゃんと長くて、普通のお母さんの初子よりもしっかりした子馬でした。お腹の中で何かが起きている、今子供を外に出さなければならないと、母体が判断していたのかもしれないですよね」
昨年春の開腹手術時もお腹の子を守り、自分の命を賭してその時の子を生み落とした。愛さんの話に耳を傾けながら、生命誕生の神秘と深い母の愛を改めて感じた。
ダイヤモンドビコーが旅立って6日後の2月4日。子馬は乳母とともに初めて外に出て、真っ白い雪の中を興奮気味にはしゃいでいたという。
「人間もそうですけど、男の子は女の子より弱いですからね。どうかこのままスクスクと元気に育ってほしいですね」と、愛さんは遺された子馬を思いやった。
幼いわが子を残して天に召されたダイヤモンドビコー。愛する息子の成長を、遠い空からいつも温かく見守っていてくれることだろう。(取材・文:佐々木祥恵、写真:村上愛)