◆架空の「新橋の居酒屋」から東京新聞杯の予想を
「スマイルジャックが出ない東京新聞杯なんか予想して、楽しいんスか」
と、ディレクターのレイが、おからをポロポロこぼしながら小皿に取り分け、顔を上げた。誰に対して言っているかというと、もちろん、スマイルジャックを贔屓にしている私に対して、である。
「4歳になった2009年から去年まで、5年連続出ていたのか。偉いよなあ、スマイルは」
と、私はレイの問いかけには答えず、専門紙を畳んだ。
ここは、キャスターのユリちゃんが学生時代にバイトをしていた店だという。ならば可愛い子のひとりやふたりいるだろうと乗り込んできたのだが、アテが外れた。店主のハゲオヤジと、どうやってカウンターの奥に入ったのか不思議なくらい太ったオバチャンがいるだけだ。
「はい、アナゴの素焼きのお客さん」
とオバチャンがカウンターに皿を置いた。
「おおっ、こいつは美味そうだ。アナ馬券をゴっそり獲りたいならアナゴだよな」
と、ケンのサトさんが箸をつけた。ケンは「見」。能書きをタレてばかりで、めったに馬券を買わないのでこう呼ばれている。
「買いもしないのに穴を獲りたいって、どういうことか、ワケがわかんないなあ」
私が言うと、
「売上げの大半は本命サイドに賭けられた金だろう。というか、みんなが賭けるから本命になる。穴が出ると、それだけ外してガッカリする客が多くなるわけで、そうなったときの競馬場の雰囲気がいいんだよ」
とサトさん。
「あんた、絶対おかしいよ」
「なんとでも言え。今年の東京新聞杯も、ケンのし甲斐のあるレースになるぞ〜」
「荒れて、ドヨーンとする人が多くなる、ってことか」
「そういうこと。コディーノ、ショウナンマイティ、ダノンシャークの三強が3頭とも休み明けだろう。どうしても2着以内に入って賞金を加算したいってクチじゃないから、ここはあくまでもひと叩きだ」
「いや、そもそも三強じゃないでしょう」
と言うのはレイだ。
「五強、六強の混戦ですよ。クラレントは去年と同じローテで連覇する可能性十分だし、京都金杯を勝ったエキストラエンドなんかは、マイル王候補と言える器なんだしさァ」
私もレイの意見に賛成だった。
「サトさんは、人の不幸を見たいという気持ちが強すぎて、ときどき目が曇るんだな。ヴィルシーナとホエールキャプチャの牝馬2頭だって、おれは怖いと思うよ」
そのときガラガラっと引き戸があき、キャスターのユリちゃんが入ってきた。
「どうもー、遅くなりましたー」
今どきのお洒落なのか、窒息しそうなほどマフラーをグルグル巻きにしている。それはいいとして、見れば見るほどこの店の古くさい雰囲気には合っていない。
「ユリちゃん、本当にここでバイトしてたの?」
私が訊くと、彼女はキャハハと笑った。
「はい。1回、新橋の駅前で宣伝のティッシュを配ったんですー」
店主のハゲオヤジが、一瞬「ああ、あのときの」という顔をし、またすぐうちわで焼き鳥をあおぎ出した。
「それはさておき、ユリちゃんの東京新聞杯の本命は?」
「サトノギャラントです」
「どうして」
「東京で5勝はメンバー最多だし、特に東京のマイルでは負けていませんよね。馬も、この舞台を待っていたような気がします」
「へえ、勘やひらめきでは買わないんだ」
「パドックキャスターの仕事で専門紙を読み込むうちに、データをチェックする癖がついちゃったのかな」
とビールをひと口でコップ半分ほど流し込んだ。この女性は、いろいろな点で、見た目と中身が違うようだ。
「人の話ばっか聞いてないで、シマちゃんの本命を教えろよ」
とサトさんが、「マグマ大使」に出てくる宇宙の帝王ゴアのような顔を向けた。
「そりゃコディーノですよ」
「そりゃ、ってなんだよ」
と言うサトさんの腕を、レイがポンポンと叩いた。
「勝ってほしいからでしょう。島田さんの本命はいつも『勝ってほしい馬』なんです。何年も前からずっと同じ。この人は、変化や進歩を拒んでいるんです」
「しょうがないだろう、変えられないんだから。コディーノがマイルで天下を獲って、宝塚記念あたりで距離を縮めてきたキズナと再度やり合ったら面白いと思うよ」
という私の言葉を、レイもサトさんもユリちゃんも聞いていない。3人とも、先々の楽しみより、今週末の予想で頭が一杯なのだろう。
東京新聞杯は、馬連で、13番コディーノから、3番ダノンシャーク、6番エキストラエンド、7番サトノギャラント、11番ヴィルシーナに流す。