◆東京新聞杯が順延し、引き続き新橋の居酒屋より
「まったく、雪のせいで東京新聞杯が流れちまって、ケンすらできなくなるとはな」
と、ケンのサトさんが恨めしそうに窓の外に目をやった。きょうもまた、東京では雪が降っている。
「おかげで、仕切り直しの東京新聞杯には、あんたが三強って言ってたうちの一頭、ダノンシャークが出てこなくなったな」
私が言うと、サトさんが濃い眉を吊り上げ、シッシッシと気味の悪い笑い方した。
「シッシッシ。買うぞ」
「何を?」
「東京新聞杯の馬券に決まってるだろう」
とサトさんが専門紙をひろげた。
「えーっ、サトさんが馬券を買うんですか!?」
とキャスターのユリちゃんがスマホから顔を上げ、目を丸くした。
しかし、騒いだのは彼女だけだった。
真冬でも素足にサンダルというディレクターのレイは、足をボリボリ掻きながら刺身の盛り合わせに箸を伸ばしている。
私もサトさんの相手をするのがアホらしくなって、ウーロン茶のお代わりを頼んだ。
「レイさんも島田さんも、サトさんがケンじゃなくて買うっていうのに、どうして驚かないんですか」
と不思議がるユリちゃんにレイが答えた。
「今年知り合ったユリちゃんは知らなくて当然だけど、サトさんが『買う』と言って当たったことは、恐ろしいことに一回もないんだよ」
サトさんは、聞こえないふりをしてタバコに火をつけた。私が加えた。
「年に数回しか買わなくて、それが全部的中していれば、『居合のサトさん』とか言われて伝説になっていただろうけどね。ケンするつもりであれこれ言ってるときのほうが当たるんだよ、この人は」
きょうも、ユリちゃんが学生時代にバイトをしていた居酒屋に来ている。客は私たちだけだ。
「おれは殺し馬券として参考にさせてもらうから、サトさん、狙ってる馬を教えてよ」
とレイはえげつない。
「聞いて驚くなよー、シッシッシ」
「その言い方は、驚いてほしいんだな」
「ダノンが回避して、三強が二強になった。おれが『買い』と睨んだ理由もそれだ」
「二強って、どれとどれ?」
「コディーノとショウナンマイティだよ。この2頭の馬連一点でもいいと思っている」
私も先週まではこの2頭を買うつもりでいたのだが、サトさんがこうまで自信満々に言うのを聞くと、不安になってきた。
「去年と同じローテのクラレントによる連覇と、エキストラエンドの京都金杯からの連勝のセンは考えてないの?」
私が訊くと、サトさんが首を横に振った。
「ないね。関西からこの短期間のうちに二度も東京まで輸送というのは、どう考えても厳しい。ただ、去年の毎日王冠以来と間隔があいているショウナンだけは、むしろもうひと絞りできる好材料としてとらえたいね」
「わたしも、同じようにムダな輸送になったにしても、距離が近いぶんダメージの少ない関東馬が有利だと思います」
とユリちゃんがきっぱり言うのを聞き、サトさんがまたシッシッシと笑った。
「ということは、ユリちゃんの本命は先週に引きつづきサトノギャラントか。実はおれも、二強に割って入るとしたらこの馬だろうと見ているんだ」
ビールを口に運びかけていたユリちゃんの動きが止まった。カマスの小骨が歯の隙間に挟まったらしく、空いたほうの手でつまみ出そうとしている。バブルのころなら「オヤジギャル」と言われたクチだ。
「わたし、サトノギャラントを軸に、クラレント、エキストラエンド、ショウナンマイティ、コディーノの4頭を相手にした3連単のマルチにしようと思っていたんですけど……」
「悩ましいところだな」
とレイがニヤリとした。
「でも、やっぱり初志貫徹で、サトノギャラントから買います」
「おれは、エキストラエンドとクラレントの2頭を軸に、3連単を狙おうかな。島田さんは?」
「おれも初志貫徹でコディーノから。これを軸に、ショウナンマイティ、サトノギャラント、エキストラエンド、クラレントに馬連で流す」
ふーんと言いながら、サトさんが今度は共同通信杯の馬柱を眺め出した。
「なんだよサトさん、共同通信杯も買うの?」
と訊いたレイに、
「買うわけないだろう。力関係がハッキリするのはこれから、っていう3歳春のレースになんて、怖くて金をつぎ込めないよ」
と答え、つづけた。
「これはイスラボニータでしょうがないだろう。それとピオネロか。穴っぽいのはマイネルフロストかな。イスラボニータはハープスターに、あとの2頭はレッドリヴェールにやられているだろう。それらがここで上位を占めて、『ああ、今年はやっぱり女性上位なんだな』ってことを間接的に証明して、みんなが半分シラケたため息をつくシーンが目に見えるようだよ」
さすが、ケンするレースとなると面白いことを言う。
共同通信杯は、サトさんのケン予想に乗ってこの3頭の馬連ボックスを買いたい。