◆ターフに見るロマンスの魅力
オルフェーヴルは女に弱い。去年の凱旋門賞で女傑トレヴの2着となる前から、一部でそうささやかれていた。圧勝かと思われた一昨年の凱旋門賞で牝馬のソレミアにかわされ、次走のジャパンカップではジェンティルドンナに体をぶつけられて競り負けた。オルフェの強さに関しては、2着を8馬身ぶっちぎった引退レースの有馬記念を持ち出すまでもないだろう。化け物のように強いのに、いや、強いから、「何それ」という部分があると親近感が湧く。
人間がサラブレッドに親近感を抱くということはつまり、馬を人間に近い存在として感じることだとも言える。何が近いと感じるのか。感覚の部分である。たんに擬人化するということではなく、馬を、自分と同じような感覚を持った生き物とみなす、ということだ。痛いとか痒いとか、暑い、寒いといった単純なものばかりでなく、嬉しい、悲しい、悔しい、腹立たしい、恋しい、妬ましい……などなど、馬だって私たちと同じように感じている、と私は競馬を始めた四半世紀前から当たり前のように思っていた。
こう書いているうちに、何人かの顔が浮かんだ。みな馬券オヤジである。競馬のキャリアは私など足元にも及ばない諸先輩。だが、馬券オヤジである。それも筋金入りの。うちひとりのIさんは、大手出版社の読書情報誌の編集を請け負う会社を経営していた。いわゆる一口馬主として20頭近くを所有する競馬好きで、伊集院静氏が「Iさんは本づくりのセンスがあるから、上手く付き合いなさい」と私に言ったほどのやり手だった。そのIさんの愛馬について、私が「どんな馬なんですか」と訊いたときの答えが、意表をつきまくるものだった。Iさんは、その馬が出走したレースの馬券の話を延々とつづけたのである。いつ、どのレースで人気になったのに着外になって馬券に絡まなかった。おかげで自分は損をして、その次のレースでも馬券に絡まず、まったくしょうがないヤツだ……と。なんのために一口馬主になっていたのか、私には理解しかねる感覚の持ち主だった。
そんなIさんでさえ、痛い、痒いから、悔しい、恋しいといったことまで、馬とさまざまな感覚を(おそらく無意識のうちに)共有していた。
馬券の話と同じように、「メジロマックイーンはイクノディクタスに惚れているらしい」という当時の噂話に身を乗り出し、「ハイセイコーは芦毛の牝馬にしか興味を示さない」という有名なネタでも盛り上がった。
それに関して、先日、16年を経て復刊された『ああ、あたしのトウショウボーイ』に収録されている「ノボルトウコウの恋」に、次のような一節がある。
<馬が恋をすることに、新鮮さを感じたわけでもなかった。スピードシンボリが、芦毛の美少女ハクセツに淡い思いを抱いていたことは有名だし、厩舎で身ごもり、身重ながらも走り、私生児を出産したモリケイの道ならぬ恋も、それほど旧い話ではない>
著者の山本一生氏は1948年生まれなので、Iさんより10歳ほど若いと思われる。
こういうエピソードを知ると、いいなー、と思ってしまう。
かつては、誰かに淡い恋を抱きながら走った馬がたくさんいた。いや、そうした思いを重ねて馬を見る人がたくさんいたのだ。
私たちがターフにロマンスを見なくなったのはいつごろからだろう。
ウオッカと噂になった牡馬はいたか? ダイワスカーレットはどうだったか?
ウーンって感じである。
ディープインパクトも浮いた話とは無縁だった。ディープはお坊っちゃまだから仕方がないとして、ちょっとワルそうなヤツはいないか。カンパニーあたりは説教臭い苦労話をしそうだが、女の子が嫌がるか。私の贔屓のスマイルジャックは実はシャイで、女に関しては奥手なタイプだ。
そう見ていくと、オルフェは久々にそれらしい話題を提供してくれたわけだが、相手がひとりではないというのがちょっと困る。
恋するサラブレッド。語呂がいいのでネットでキーワード検索をしてみたら、過去にそういう作品はないようだ。
ハープスターの恋。これも語呂はいいが、もっかのところネタがない。近い将来同じ舞台に立つかもしれない彼女をクラクラさせる男は、はたして現れるだろうか。
今回もまた、とりとめのない話になってしまった。