◆「僕におやつをいっぱいちょ〜だい」 1992年3月6日にアイルランドで生を受け、日本で競走馬として走り、今は穏やかな日々を過ごす1頭の名馬がいる。4歳(旧馬齢表記)時にラジオたんぱ賞(GIII)を制し、2000年2月12日の障害未勝利戦2着を最後に9歳(旧馬齢表記)で引退した、プレストシンボリだ。
▲1995年ラジオたんぱ賞優勝時(撮影:高橋正和)
ターフを去ってからおよそ14年の歳月が流れ、今年で22歳となったプレストシンボリは、2012年12月から千葉県若葉区にある乗馬クラブ、ASANO HORSE LIFE-ingで引退名馬として繋養されている。このクラブでは通常の乗馬レッスンの他、障害者乗馬(ヒポセラピー)も行っている。聞けば、厩舎も馬場も柵もすべて手作り。現在も手作り進行中で、代表の浅野さんは、この日も大工仕事に励んでいた。
当クラブの小泉弓子さんによると、やって来た当初のプレストシンボリは気が強くてうるさい面を見せていたという。
「物見もありましたし、男の人に対しては、強い調教をしたり押さえつけるということに関して、すごく抵抗のある子でした。最初はハミも嫌いでしたし、跳ねたりもしていました。ただ洗い場だけは、最初からとてもお利口さんだったんですよ」
最初の1、2か月くらいは、当クラブ代表の浅野裕貴さんが調教をしていたが、ある時期から小泉さんにプレストシンボリを任せるようになる。「これはベストな選択でした」と浅野さんが言うように、プレストシンボリと小泉さんはベストコンビになった。
「月曜日と土曜日以外は獣医として勤務しているのですけど、朝仕事に行く前に馬房をお掃除したり、飼い葉をつけたりと、馬と遊ぶのが私の担当だったんですね。その様子を彼が見ていて、もしかするとぷーちゃんには女性の方が合うのではないかということで、2か月過ぎたあたりから、少しずつ私の担当に移行していったという感じです。
彼が見ていないところでは、跳ねられては何度も落ちました(笑)。ハミを強く取られるのも嫌みたいでしたし、私の技術も伴わなかったので、最初は馬と喧嘩になってしまうことが多かったんです。でも引き馬をしたり草を食べさせに行くなど、私と過ごす時間を長く作るようにしたら、ぷーちゃんの方が根負けをしたのか、乗っている時にぷーちゃんが我慢をしてくれるようになってきたんです。
それまでは何かがあるとパニックになって、ワーッと熱くなってしまうことが多かったのですけど、一緒に過ごす時間を長くしてからは、ぷーちゃんから私の話を聞いてくれるようになって、乗る時も何となく我慢してくれて、そのかわり僕におやつをいっぱいちょ〜だい(笑)、というような関係が段々築けていったという感じですね」
▲信頼関係を築いている小泉さんとプレストシンボリ
プレストシンボリを「ぷーちゃん」と呼び、優しいまなざしで見つめる小泉さん。ぷーちゃんもまた、小泉さんと過ごす時間を楽しんでいるように感じた。
「パニックになって熱くなるというようなホットな部分を見せたのは、最初の半年くらいまでですかね。今でも馬場馬術の練習をしようとすると、まだホットになることもありますけど、寛容さの幅が以前よりも増えてきています。ただすごく人を見るので、小さい子供には全くイラついた面は見せなくて、すごく切り替えが上手な子ですよ。
1年前はすぐそこの道は旧道ではなく、66号線だったんですよ。なので結構大きなトラックが走っていたので、強い運動をしている時にはそれを気にしたりもしていましたけど、小さい子供とふれあっている時には、どんなにガラガラ音のする車が通っても、へっちゃらでした。年の功というのもあると思いますけど、とてもよく人を見てくれていますね。話もよく聞いているみたいで、私たちが考えている以上にすごく敏感で、こちらの会話を読み取っていると思います」
小泉さんに取材中、こちらにお尻を向けていたぷーちゃんが、要所要所で「そうだよ。僕わかっているんだよ」とでも言うように、タイミング良くこちらを振り返るので、本当に言葉が通じているのではないかと思ってしまった。
▲このコラムの過去の記事を小泉さんと見ている(?)プレストシンボリ
◆人を癒す馬の不思議なパワー すっかり丸くなったぷーちゃんは、小泉さんの話にもあったように、幼い子供たちや障害のある子供たちに対しても穏やかで優しく、ふれあいの場でも活躍している。
「毎週、毎週、小さい子たちにぷーちゃん、ぷーちゃんと言われて慕われていると、馬もそれを楽しみにしてイキイキしているように感じます。馬にも何かしら役割を与えてあげた方が良いように思いますね」(小泉さん)
「ふれあいの後には馬房の掃除をしたりブラシをかけて、おやつやご飯をあげたりして、馬にありがとうとお礼を言っておしまいにするようにしています。子供たちが接している時のぷーちゃんは、優しくボーッと立っていてくれていますよ」(小泉さん)
子供たちにとって、ぷーちゃんは大切な友達なのだ。
「ワンちゃんはどちらかというと、ねえ、ねえっていう感じで自分から人に行きますよね。でも馬はのんびりして、こちらが行くのを待っていてくれます。それが障害を持った方にはとても良いみたいなんですよね。向こうから積極的に来られると、障害を持った方は引いてしまう傾向にありますけど、馬はボーッと待っていて、こちらが行くと受け入れてくれます。なので、障害を持った方もスッと馬に入れるみたいなんです」
病気と闘っている熱烈なファンが、辛い治療の後にプレストシンボリのもとを訪れ、元気と勇気をもらって帰っていくという話も聞いた。私も取材を忘れ、ぷーちゃんを始めとした、ここにいる1頭1頭の馬たちとふれあううちに、気持ちが穏やかになっていくのを実感した。
▲障害を持つ方が馬に乗りやすいように設計された台、スロープがついていて車椅子も通れる
子供たちのお相手がない日のぷーちゃんは、日がな1日場内の草を食べ続け、時間になると厩舎まで戻ってきてはご飯を催促する。
「ご飯が遅くなると飼い葉を作る場所まで来て、飼い葉桶をカランコロンカランコロンと鳴らしているので、まだだよ〜って会話をしています(笑)」(小泉さん)
この光景を想像するだけで、幸せな気持ちになった。
22歳のプレストシンボリは、健康状態も至って良好だ。歯の噛みあわせが悪く、年2、3回、歯を削ってもらう以外は怪我も疝痛もしたことがない。
「みんなのんびりしているせいか、ぷーちゃん以外の馬もほとんど病気知らずで、獣医の私がいるのに、ワクチンをするくらいしか出番がないんですよ(笑)」(小泉さん)
でもそれは、幸せな証拠だ。ここは時間がゆっくり流れていて、馬と人の気持ちをほぐしてくれる、特別な場所のように感じた。
▲障害者乗馬で活躍中のトレモロ、現役時代は二ノ宮敬厩舎で走っていた
▲大竹正博厩舎に初勝利をもたらしたアンヴェイル、今では大竹師の愛馬
(取材・文・撮影:佐々木祥恵)
※プレストシンボリは見学可です。
ASANO HORSE LIFE-ing
〒265-0073 千葉県千葉市若葉区更科町1866-3
電話 080-4256-7676
展示時間 10:00〜16:00(月曜と土曜は、獣医の仕事が休みの小泉さんもいるので案内しやすいとのことです)
見学希望の方は、前日までに連絡してください。
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