▲1996年第57回オークスを制したエアグルーヴ
競走馬として母として、競馬界に多大なる功績を残したエアグルーヴ。2000年代に入り、ウオッカやダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナなど次々と名牝が現れたが、そのどの馬とも違う、相手を捻じ伏せるような強さは、今もなお最強牝馬として我々を魅了し続ける。調教助手として、多くの時間をともにした笹田和秀もそのひとり。「あの馬を超える馬には、なかなか出会えないでしょうね」──静かに語り始めたエアグルーヴの生涯。貴重なエピソードを通して、今、エアグルーヴの強さが解き明かされる。(取材・文:不破由妃子)
◆最期までエアグルーヴらしく 2013年4月23日、競走馬として、母として、競馬界に大きな功績を残したエアグルーヴが、突然この世を去った。発表された死因は、出産後の内出血。11頭目の産駒(父キングカメハメハ)をこの世に誕生させたそのとき、エアグルーヴを悲劇が襲った。
「破裂したんです、子宮が。馬は尻尾から出てくるのが普通なんですけど、逆になっていて。人間でいえば逆子ですね。それで、子供が出てくる角度が悪くて、子宮を傷つけたんです。でもあの子は……。馬っていうのはね、お母さんの初乳を飲まないと免疫ができないんですよ。だから、子宮が破裂しているにも関わらず、仔馬が立ち上がったときにあの子も立ち上がって、ちゃんと初乳を飲ませた。母としての大事な仕事を終えてから、バタンと倒れたんです」
そう明かしてくれたのは、現役時代、毎日のようにエアグルーヴの調教に跨り、引退後も、そして自身が調教師となってからも、毎年牧場に会いに行っていたという笹田和秀。女傑の突然の死は衝撃的ではあったが、まさかそんなに壮絶な“最後”を迎えていたとは──。
「牧場のスタッフからエアグルーヴの最期を聞いたときは、さすがにこみ上げるものがありました。人前では決して泣きませんけど、陰では…ね。それにしても、あの馬は本当に我慢強い馬でした。だから、その死に様を聞いたとき、エアグルーヴらしいなと思ったのも事実です」
▲笹田「エアグルーヴの最期を聞いたときは、こみ上げるものがあった」
名門・伊藤雄二厩舎の調教助手として、マックスビューティ(87年桜花賞、オークス)、シャダイカグラ(89年桜花賞)、ダイイチルビー(91年安田記念、スプリンターズS)、ウイニングチケット(93年日本ダービー)など、数々の名馬に携わってきた笹田。その笹田にとっても、エアグルーヴという競走馬は特別な存在だという。
「助手時代、牧場からきた馬には必ず乗せられたんですけど、初めてエアグルーヴに跨ったとき、伊藤先生の前を歩きながら、『先生、この馬は僕が今まで乗ったなかで一番強いです』と言ったのを今でも覚えています。それまで伊藤雄二厩舎には、マックスビューティやダイイチルビー、ダービー馬のウイニングチケットもいましたが、エアグルーヴの強さは歩いただけでわかった。乗り心地がいいだけではないんです。あの馬の場合は、精神面の強さが伝わってきた。乗っていてすごく安心感があったんです」
そのファーストインパクトを、「衝撃的でしたね」と振り返る笹田。デビューに向けて本格的な調教を始めたとき、その衝撃はさらに威力を増して、笹田の体を貫くことになる。