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【特別連載】NARとJRA、そして国の連携/あの時なにが起こったか〜競馬場の廃止と再生(5)

  • 2014年06月19日(木) 18時01分
2001年、中津競馬(大分県)からスタートした廃止ラッシュは、新潟・益田(島根県)・上山(山形県)・足利(栃木県)・高崎(群馬県)・宇都宮(栃木県)と続き、たった4年の間に7つ(主催競馬場のみ)の競馬場が消えていった。さらに、荒尾(熊本県)・福山(広島県)が廃止となり、結局平成に入ってから13もの競馬場が廃止に追い込まれたのだ(三条/新潟県・岩見沢・北見・旭川/3場とも北海道を含め)。長く苦しい時代を過ごし、たくさんの犠牲を払った現在、地方競馬は2年連続で総売得金が前年比を上回るなど、再生へ向けての光が差し込んでいる。13もの競馬場を失って、やっと見えて来た光。今、改めて廃止の現実を振り返り、再生へと繋げるための道を探したい。(取材・文・写真:赤見千尋)(第4回のつづき)

◆地方競馬の再生に“2つ”の光

 平成25年度の地方競馬の開催成績は、入場人員こそ前年比94.7%だったものの、売得金は106.8%を記録し、2年連続で増加した。さらに、すべての開催競馬場において、総売得金、一日平均売得金が前年を上回る好結果となった。数年前には考えられなかったような売上アップである。いよいよ地方競馬再生へ向けて、大きな一歩を踏み出した。

 この大きな一歩を踏み出すキッカケになったのが、馬券販売の全国統一と、競馬法改正によるJRAとの連携強化だろう。この2つの変化によって、長らくどん底を味わっていた地方競馬に、再生の光が差したのだ。

 まず一つ目の馬券販売の全国統一は、地方競馬同士の連携強化である。

 地方競馬では長い間、各主催者がそれぞれ独立して開催を行い、別々の馬券販売システムを採用していた。しかし、2011年から順次地方競馬共同トータリゼータシステムに移行していき、昨年の3月にすべての地方競馬が一つのシステムで繋がったのだ。これにより、場間場外発売が活発になり、今までは出来なかった、一つの競馬場で4つの競馬場の馬券を同時発売することが可能になった。25年度の開催成績を見てみると、すべての競馬場において場外売得金が増えており、全国計では前年比118.7%という数字を記録している。

 これだけすぐに大きな効果が出ると、なぜもっと早く統一しなかったのかという疑問もあるだろう。しかしその疑問こそが、地方競馬の抱える運営の難しさなのだ。

 地方競馬と一口に言っても、国が主催しているJRAのように、一つの団体ではない。各地域、都道県や市がそれぞれに主催しているのだ。その主催者たちの調整をしているのが地方競馬全国協会(NAR)であり、NARには競馬を主催する権利はない。JRAとNARとでは、この点が決定的に違うのである。

 NARが各主催者に対して持つ権限というのは、実はとても少ない。そのため、「全国的な連携」を呼びかけても、その呼びかけに強制力は発生しないのだ。個々の主催者の考えが同じ方向を向かない限り、地方競馬同士が連携することは難しい。平成に入ってから13もの競馬場を失い、大きな犠牲を払った今だからこそ、全国の主催者たちが同じ方向を目指せるようになったのではないだろうか。

 もう一つの大きなキッカケは、法改正によるJRAとの連携強化だ。具体的には、

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