◆下手なのにチャンスだけは人一倍 今となっては信じられない話だが、デビュー初年度から重賞に21鞍も乗せてもらった。なにしろ、最初の重賞騎乗がデビュー初日。3月1週目に組まれていた当時の中日新聞杯(GIII)だ。騎乗馬は、オグリキャップの長男・オグリワン(瀬戸口厩舎)。惨敗続きだったが、それが引退レースだったこともあり(その後、名古屋に移籍)、6番人気の支持を集めた。が、結果は3.6秒差の15着。記念すべき重賞初騎乗は、最後方からなにもできずに終わった。
二度目の重賞騎乗は、その2週後の中京記念で、ナカミアンデス(二ノ宮厩舎)に騎乗して5着(5番人気)。そのときパドックで手綱を引いていたのは、なんと調教助手時代の堀先生だったそうだ。堀厩舎といえば、関東では戸田厩舎と並び、数多く騎乗させてもらっている厩舎。本気とも冗談とも取れる口調で、「祐一、ウチの所属になれよ」なんて言ってくれるほど、ここ数年はかわいがってもらっている。
そんな堀先生から、つい先日「(ナカミアンデスは)俺が引っ張ってたんだよ、覚えてるか?」と聞かれ、自分はその事実を初めて知った。「縁があるなぁ」なんて、しみじみ話していたのだが、馬と人にしても、人と人にしても、縁とは本当に不思議なもの。でもやはり、そこには引き寄せられる“何か”があるのかもしれない。
実は、2年目の秋のキングヘイローとの出会いも、今となっては縁があったとしか思えない。詳しくは後述するが(次週公開予定)、自分が跨ることにはなった経緯には、ある“偶然”が大きく関係しているからだ。
デビュー年の96年に新設された秋華賞で、早くもGIに騎乗する機会に恵まれた。パートナーは、森厩舎のシーズグレイス。秋華賞こそ勝ったファビラスラフインから離れた6着に終わったが、続くエリザベス女王杯では、ギリギリまで逃げ粘って3着(4着入線も、2着入線のヒシアマゾンが降着になったため繰り上がり)。レース後、3着という結果に満足していたら、どうやら自分の騎乗に危ない場面があったようで、レインボークイーン(10着)に騎乗していた本田さん(現調教師)に、「危ねえだろ!」って怒られたのを覚えている。
シーズグレイスには、新人にして海外の競馬も経験させてもらった。