「ハルカゼ」と参加する野馬追
今年も相馬野馬追の取材に来た。
千年以上の伝統を持つ、世界最大級の馬の祭りである。
今年は450騎が出陣する。震災前年の480騎に近い数字だ。
東京を出る前、念のためという感じで南相馬市役所の相馬野馬追執行委員会に問い合わせの電話を入れた。常磐自動車道を終点まで行って、東京電力福島第一原子力発電所の脇を通って行けるかどうか訊いたのだが、通行証がないと行けないという。去年と同じだった。
常磐道を船引三春インターで降りて一般道を走った。しばらくすると、そこここで「除染作業中」ののぼりが風になびき、ラッピングされた草などが積まれている。それも去年と同じだった。
そうした風景を眺めながら、南相馬を目指した。最初の目的地は、初めて相馬野馬追を取材した2011年に知り合った小高郷の騎馬武者・蒔田保夫さんが借りた馬を預けている厩舎である。都内で渋滞にハマってしまい、着いたときには約束の5時半を過ぎていた。
雲雀ヶ原祭場地に近いそこに行くと、厩舎前で蒔田さんが乗り運動をしていた。
小高郷の蒔田保夫さんが厩舎前で乗り運動をし、人馬ともに野馬追に備える。
今年の騎乗馬は、宇都宮大学の馬術部から借りたという。20歳で、元競走馬かどうかなどのプロフィールはわからず、「ハルカゼ」という名前だ。
「先週の日曜日に来て、月曜日から毎日夕方乗っています」
と蒔田さん。
「来たばかりのころは目をギラギラさせて、落とされたり、ロデオをさせられたりしたんですけど、ずいぶん落ちついてきました」
蒔田さんのように、野馬追の時期だけ馬を借りて出陣する騎馬武者は多い。
馬にとっては野馬追に出るのは初めてというケースもよくあり、その場合、野馬追用の馴致というか「ならし」が必要になる。
そのひとつが、これ、ほら貝だ。
蒔田さんの騎乗馬にほら貝の音を聴かせる。まったく驚く様子はなかった。
近くで吹き鳴らされても驚いて暴れないよう、こうしてあらかじめ聴かせておくのだ。
また、ほら貝や、騎馬武者たちの伝令などの大声といった音と同じぐらい、ならしておかなければならないものがある。風ではためく旗指物だ。旗指物を背負った人間を初めて背にするとき、驚いたり怖がったりして暴れる馬が実に多い。
その対策が、これだ。
厩舎のなかには、馬が旗指物になれるよう、のぼりが吊るされている。
今年建て直したばかりの厩舎には、こうしていくつもののぼりが吊るされ、扇風機の風にあおられて大きく動くようにしている。
最初は気にしていた馬もいたというが、今ではすっかり平気になった様子だ。
ともに野馬追に出場するハルカゼも「野馬追仕様」になりつつある。
「こいつ、ほかの馬が厩から出ていったら寂しがって、厩のなかでグルグル回って汗びっしょりになっていたこともあったんです。最初は顔も拭かせてくれなかったんだけど、ずいぶんなじんでくれましたよ」
と蒔田さんは嬉しそうに話す。
震災の津波で、当時20歳だった長男の匠馬君を亡くした彼は、2011年と12年、喪に服す意味でそれまで毎年参戦していた野馬追に出場しなかった。
去年、3年ぶりに出場した(元競走馬のレッツゴーキリシマに乗った)が、行列に加わっただけで神旗争奪戦には出なかった。
今年は、彼ら侍が「旗獲り」と呼んでいる神旗争奪戦に参加する。
実は、さっきまで、蒔田さんの借り上げ住宅で野馬追談義をしながら夕食をご馳走になっていたのだが、私はこの原稿があるからと早めに引き上げ、ホテルにチェックインした。
私は、39度の熱を出したあとの病み上がりなのと長距離ドライブの疲れで、このあと爆睡できそうだが、蒔田さんは、運動会前夜の子供と同じ心境で眠れないのではないか。
明日、土曜日の宵祭りも、日曜日の本祭りも楽しみである。