オペラオーに関しては、恩返しができなかった
続くステイヤーズSは、ペインテドブラックに内をすくわれて2着。有馬記念は、グラスワンダー、スペシャルウィークに次ぐ3着だったが、3歳馬にして現役最強を争う2頭とタイム差なしの勝負を演じたことで、オペラオーに対する世間の評価は高まっていった。
年明け初戦の京都記念は、菊花賞馬ナリタトップロードを抑えての1番人気。単勝1.9倍という圧倒的な支持に、明け4歳となったオペラオーへの期待感が溢れていた。
京都記念を勝ったあと、やっとオーナーとお話することができたんです。そのときに「今年はもう負けるなよ。全部勝てよ」と言われて、“もう負けられへん。負けたら終わりや”と、改めて思いました。先生に対しては、もう恩返しをしなければという気持ちしかありませんでしたね。あのレースを目標にとか、そういう気持ちは一切なく、先生のためにも出るレースは全部勝たなアカンと思いました。▲「先生のためにも出るレースは全部勝ちたい」
結果的に、4歳のときに出走したレースは全部勝つことができましたが、全部合わせても菊花賞で失った1勝には敵わない。あの悔いは一生残るでしょうね。今でも思い出すと眠れなくなるくらい、それほど重たい2着でした。でもその一方で、もしあの菊花賞を勝っていたら、次の年のどこかで隙が生まれて、全部勝てなかったかもしれないと…。あの菊花賞で負けたからこそ、自分のなかで覚悟が生まれて、4歳時のレースをすべて勝てたんじゃないかと今はそう思えるんです。 8戦全勝となった4歳時には、古馬GI戦線において史上初のグランドスラム(天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念を完全制覇)を達成。テイエムオペラオーは、競馬史上に燦然と輝く絶対王者となった。
▲天皇賞・春(上)から有馬記念(下)まで完全制覇
5歳の春には、天皇賞・春を連覇。しかし、宝塚記念ではメイショウドトウに、天皇賞・秋ではアグネスデジタルに、ジャパンCではジャングルポケットに敗れ、有馬記念5着を最後にターフを去った。
オペラオーが引退したあとは、3か月くらい消えたかったというのが正直な気持ちです。最後のシーズンは本当にきつかった。馬に衰えはなかったし、競馬もそれまでと同じ感覚なのに、なぜか勝てないというジレンマがありました。その間には、「なんで勝てないんだ」とか「お前の仕掛けが早いんだ」とか、ファンの方から抗議の手紙が届いたりもして。 最後の有馬記念の翌日、地方競馬に乗りに行ったときが一番しんどかったですね。もう野次がすごくて、それはもうボロクソに言われましたから。「俺が一番キツイわ!」って言い返したい気分でしたが、あの馬にはそれだけファンが多かったということですし、その期待に応えなければいけない立場だったんだと今ならわかります。それに、ジョッキーでいる限り、それくらいの馬に乗っていなければダメなんですよね。「言われているうちが花だ」と、蛯名さんにも言われました。確かに今は抗議の手紙もきませんし、パドックでも野次られませんからね(笑)。 オペラオーにはたくさん勝たせてもらいましたが、満足かと問われれば、まったく満足はしていません。ただ、自分自身、あの時点でもう限界だったのかもしれないなと。正直、疲れました。今思うと、あの頃の自分は気を張り過ぎて、競馬以外の時間は廃人のようでしたから。 もちろん、ものすごい財産をもらったことはわかっています。ずっと自分を乗せ続けてくださったこと、最後まで守ってくれたこと。先生にはいくら感謝しても感謝しきれません。しかも、最後のシーズンは結局、GIを勝てずじまい。オペラオーに関しては、恩返しができなかったという思いでいっぱいです。いつか厩舎を開業したら―