3年目の夏、テイエムオペラオーとの出会い
初年度から岩元厩舎の大半の騎乗を任され、同期では福永の53勝に次ぐ33勝をマークした和田。12月のステイヤーズSでは自厩舎のサージュウェルズを駆り、12期生で一番乗りとなる重賞初勝利を決めた。1年目のジョッキーが長距離重賞を制覇。その珍しさも手伝って、“和田竜二”の名はじわじわと全国に浸透していった。
祐一もそうですが、自分も初年度からものすごいバックアップをしていただきました。新人賞を意識しなかったといったら嘘になりますが、祐一がちょっと抜けていましたから、自分は自分と思って過ごしていたような気がします。なにしろ技術がありませんでしたから、先生の期待に応えることで精一杯でした。先生は、“いいと思えば褒める、ダメなときは叱る”とハッキリしている方でしたから、時々褒められるのがうれしかったですね。まぁ大半は怒られていたんですけど(笑)。 初年度から東京、中山、新潟と、関東圏の遠征にもバンバン行かせてもらいました。ほとんど勝てませんでしたが、おそらく頻繁に関東圏に行っていたのは、同期でも自分くらいだったんじゃないかと思います。 そんななかでの1勝が、サージュウェルズで挑んだステイヤーズS。中山コースは、同じサージュウェルズで出走したオールカマー以来二度目の騎乗だったのですが、本当に乗りやすい馬だったので、自信を持って臨んだことを覚えています。サドラーズウェルズ産駒で、とにかくスタミナがありましたから、“ココしかない!”という一戦でしたね。 レースも下手くそなりに思った通りに乗れたので、勝ったことに対する驚きはありませんでしたね。8番人気での勝利でしたが、先生も厩舎の方も、誰も驚いてはいませんでした。それだけサージュウェルズが重賞を勝っても不思議のない馬だったということ、そして何より、自分が1年目からそういう馬でチャンスをもらっていたということです。▲同期一番乗りで重賞制覇「1年目からチャンスをもらっていた」
2年目は勝ち星こそ21勝に止まったものの、皐月賞への最終便である毎日杯をテイエムトップダンで制し、同馬で早くも皐月賞(12着)、ダービー(13着)、菊花賞(7着)を経験。三冠レースで2年目のジョッキーを一貫して起用するなど、今では考えられないことだ。岩元にとって、オーナーの竹園正繼は、同じ鹿児島県垂水市(旧肝属郡垂水町)出身の幼なじみ。当時とはいえ、そのよしみもあり、竹園に頭を下げたのではないかと想像する。
そして3年目の夏。和田はテイエムオペラオーに出会う。オペラハウス産駒の栗毛の男馬は、デビュー戦の時点で458キロ。牡馬としては小柄な部類で、現場でも決して目を引く馬ではなかった。
デビュー前の時点でそれなりにいい動きは見せていましたが、自分のなかでは「新馬戦からいい勝負ができるかもしれないなぁ」くらいの期待値だったと思います。なにしろ、GIで勝ち負けするような馬には乗ったことがありませんでしたからね。乗り味もほかと比較しようがありませんでした。確かに厩舎のなかでは抜けた存在ではありましたが、まさかあんな馬になるとは、誰も想像していなかったでしょうね。 単勝1.5倍という大きな期待を背負っての船出(京都芝1600m)は、勝ったクラシックステージから1秒離されての2着。期待が大きかったぶん、岩元をはじめとする厩舎サイドの落胆も大きかったが、レース直後に骨折が判明。年末まで休養し、再起を図ることになった。