自分が守れる範囲の人を大事にしたい
自分の人生を振り返るうえで、北橋先生は欠かせない存在だが、そもそも北橋先生と父親がどういう関係にあって、自分をここまで可愛がってくれるのか、その原点を自分は聞いたことがない。麻雀仲間だったということは唯一聞いたことがあるが、そのほかに一緒に飲み歩いていたとか、そういう話を聞いたことがないのだ。
北橋先生には、子供の頃から本当に可愛がってもらった。遊園地に連れて行ってもらったり、外食に連れて行ってもらったり。先生の厩舎に泊まりに行ったりもしていたし、自分と妹にとっては父親代わりといえる存在だった。なにしろ、この世界に入るまで、“修ちゃん”て呼んでいたからね(笑)。これからは、“修ちゃん”を“先生”と呼ばなくてはいけないというのが、騎手としての最初の課題だったと思う。
だからこそ、自分も原点は知りたいし、知っておくべきだと思うから、ぜひこのコラムの特別編として、北橋先生に取材してほしいと思っているのだけど、どうだろう(笑)。
▲2006年2月28日付けで定年により引退した北橋修二元調教師
以前にも書いたが、母方の祖母の妹が栗東で開業していた日迫清調教師の奥さんで、その縁で父と母は出会ったという。で、北橋先生の奥さんと、日迫清調教師の奥さんが仲が良かったというから、ひょっとしたらその縁で、父親がケガをしてからも付き合いがあったのかもしれない。
どちらにしても、母親か北橋先生に直接確かめればいい話だが、自分は今まで一度もその原点について聞いたことがない。祖父母の助けもあって、それほど子供の頃から違和感のない生活を送ってきたんだと思う。すべてのことが当たり前の日常で、「なぜ?」とか「どうして?」とか、疑問を挟む余地がなかったのだ。
これまでにも、度々このコラムに登場した母親だが、そもそも