▲親友・柴田政人師が語る“福永洋一”と“福永祐一”
現時点での違いは集中力
祐一のことは、小さいころからずっと見てたよ。俺のことは「毎年、お年玉をくれる柴田のおじさん」という認識しかなかったらしいけど(笑)、北海道でうちの子供たちと一緒に遊んだりしていたんだけどなぁ。まぁ小さかったから、覚えていないんだろうね。
たまに栗東に行ったときには洋一の家に寄っていたし、泊まったこともあった。洋一のリハビリに付き合って、一緒に雲梯のようなものをやったこともあるけど、なんと洋一に負けてしまった(笑)。祐一はまだ小さくて、俺たちの周りをチョロチョロ走り回っていたよ。
そうやって、祐一のことは定期的に見ていたから、騎手という仕事に興味がないこともわかってた。中学2年だか3年だか、ギリギリになってからやる気になってね。競馬学校を受けるって言い出したときに、お母さんの裕美子さんから相談があったよ。お母さんは反対していたけど、「本人がやるって言うなら、あまり反対しないほうがいいよ」って言ったんだけどね。それまでまったくそんな話は出なかったから、お母さんも驚いたんだろうね。
でもね、俺からすれば、自然な流れだったんじゃないかと思う。親父の写真やトロフィーがたくさん飾ってあるなかで生活してきたわけだからね。実際にレースを観ていなくても、その華やかさはわかるはずだから。むしろ、もっと早くそういう気持ちになってもおかしくなかったんじゃないかと俺は思うよ。やっぱり、蛙の子は蛙なんだよ。
競馬学校に入ってからも、デビュー後はうちの厩舎に所属したいという話があってね。もちろん、くるならきてもいいと思っていたけど、なにしろ俺も開業したばかりだったし、北橋さんのところに子供の頃から遊びに行っていたことも知っていたから。それに、関西のほうがたくさん応援を得られるんじゃないかとも思ったし、「気心が知れてる北橋さんに頼んだほうがいいんじゃない?」って言ってね。
▲父と同じ道を進んだ福永祐一、「やっぱり、蛙の子は蛙なんだよ」
初騎乗初勝利で、初日は2連勝。華々しいデビューだったよね。技術的にいえば、確かに当時の祐一は甘かった。芯が