馬はどんな人でも受け入れてくれるんです
サンクスホースデイズの実行委員長である福留健一は、以前はみんなが憧れる馬乗りだった。坂口正大厩舎の助手として、キングヘイローやデュランダルといった馬たちの背中を任されて来たのだ。そんな福留が、調教中の落馬事故で下半身不随となったのは、今から5年前のことである。
「最初は本当にショックでした。救急車で運ばれて、気づいた時には肺にかなり血が溜まっていて、このままでは手術出来ませんて…。手術が出来なければ、命がなかったわけですから。運よく状態が安定して、手術をすることが出来たんです。下半身が動かなくなってからは、車椅子になりました。20年馬乗りをしていて、急に乗れなくなったので、その気持ちの切り替えが難しかったです。もう一生馬に乗ることは出来ないし、馬の仕事にも関われないだろうなと思いました」▲多くの名馬を手掛けた福留健一「もう馬に乗ることは出来ないと思いました」
退院後は、ハローワークに通って仕事探しを始めたという。しかし、仕事は全くない。バリアフリーが進んでいない今の日本において、車椅子での職探しは困難を極めていた。
「もう全くなかったです。自分が障がい者になってみて、外に出てみると、本当に狭い世界だなって実感しました。そんな時に角居調教師に声を掛けてもらって。障がい者乗馬っていうのがあって、ホースセラピーの活動に関心を持ってるから、一緒にやらないかって。本当に有難かったです」 角居厩舎の事務員として働きながら、障がい者乗馬について調べる日々が始まった。とにかく、圧倒的に情報が少ない業界である。どこで行っているのか、どんな風に行っているかも、ほとんど知られていない。
「実際に調べてみると、横の繋がりが全くないんですよ。障がい者乗馬だけじゃなくて、乗馬自体の横の繋がりも薄いですし、競馬との繋がりなんて全然ない。同じ馬を扱う世界だけど、それぞれやり方が違うし、こだわりも違う。その繋がりを作って行くのが大変でした。角居調教師と厩舎で話し合っている時に、福永祐一くんや、他の騎手の方たちも共感してくれて、だんだんと広がって行きました。乗馬の世界でも、オリンピック選手の杉谷泰造くんたちが賛同してくれて。第1回のサンクスホースデイズは、競馬・ブリティッシュ・ウエスタン・障がい者乗馬・ホースセラピーというジャンルを超えて、日本で初めて一緒に集まったんじゃないですかね」▲第8回サンクスホースデイズ、迫力の障害馬術が披露された
角居と福留の行動は、日本の馬社会を繋げるという大きな役割を果たし始めた。今年の9月で第8回を迎えたサンクスホースデイズは、回を重ねるごとに認知度が高まり、開催地となった名古屋競馬場にも、新しいお客さんが増えるなどのいい効果が表れたという。しかし、角居の話にもあったように、福留もまた違和感を感じ始めていた。
「サンクスを開催することで、ある程度知ってもらえたことは嬉しいんですけど、毎回毎回すごくお金が掛かるんですよ。サンクスだけでやっても、イベントをするお金を集めるだけで精一杯で、活動をしていく資金までいかないんです。だから、その方向性を変えていかないとということで、拠点となる事務局の一般財団法人ホースコミュニティを立ち上げて、イベント事業としてサンクスが入る形にしました」 ゼロから何かを作るということは、本当に難しい。実行して初めて見える壁もある。角居と福留が作り上げて来たサンクスホースデイズも、方向修正を迫られた。こうして修正しながら、少しずつ完成形に近づいて行くのだ。そんな風に試行錯誤を繰り返す日々の中で、福留はもう一度馬に乗るという夢を叶えた。
「二度と馬には乗れないと思っていたので、本当に感動しました。もう涙が出ましたね。障がい者乗馬の馬たちは本当に大人しくて、下半身不随でも乗ることが出来て脚を使わなくても動かすことが出来る。海外ではパラリンピック馬術選手で両腕のない方や両足のない方が巧みに馬を操り、メダリストとして活躍されていたり、全盲の方が乗馬を楽しんでおられる。もちろん、健常者の方も。小さいお子さんでもお年寄りでも、どんな人も乗せてくれますよ」 障がい者乗馬には色々なやり方があるが、例えば声に反応して動く馬たちがいる。特別な合図を送らなくても、言葉でこちらの気持ちを汲み取ってくれるのだ。乗馬になる馬は従順で穏やかな性格が求められるが、障がい者乗馬はそれ以上の従順さと穏やかさが求められる。気性の激しいサラブレッドが障がい者乗馬になるのは難しいのではないだろうか。
「確かに、向いているとは言えないですね。でも、実際に障がい者乗馬やセラピーホースとして活躍している元競走馬もたくさんいますよ。個体差はありますし、競走馬登録を抹消してすぐというわけにはいかないかもしれないけど、乗馬で経験を積んで、年齢が高くなってからなら、サラブレッドもかなり穏やかになりますから」▲「障がい者乗馬やセラピーホースとして活躍している元競走馬もたくさんいます」
馬たちのことを熱く語る福留であるが、自身が車椅子生活になったのも馬の影響である。そのことを恨んではいないのだろうか。
「全然思わないですね。だって自分が悪かったですから。いらないところでムチを使ったので馬が驚いたんですよ。自分がタイミングを間違えたんです。馬はただ真っ直ぐ走ろうとしてただけ、それを人間が邪魔してバランスを崩してしまったんです。前はどうやったら強くなるかっていうことばかり考えてましたけど、今は馬の別の側面を見せてもらってますね。馬はどんな人でも受け入れてくれるんです。子供であれ障がい者であれ。言葉はしゃべれないけど、わかってくれてるってすごく感じますね。本当に優しいですよ」 これまで助手として長年馬たちと関わって来た福留は、今は障がい者という立場から馬たちとの関わりを持っている。そこには、福留にしか見えない世界があり、福留にしか出来ない役目があるのだ。(文中敬称略、Part3へつづく)
【取材・文:赤見千尋】
※この企画は3日間連続掲載です。Part1は11/3(月)18時、Part2は11/4(火)18時、Part3は11/5(水)18時にそれぞれ公開されます。