馬を介したノーマライゼーション社会を作って行きたい
昨年12月、一般財団法人ホースコミュニティが立ち上げられた。角居は代表理事を務め、福留は引き続きサンクスホースデイズの実行委員長となり、実質的に動ける人材として、事務局長に山本高之が就任した。ホースコミュニティとサンクスホースデイズ。一体どう違うのだろうか。
「サンクスは実行委員会という任意団体で運営していた、言わば単発のイベントです。でもイベントだけではやりたい事や出来る事が限られてくるので、法人化して、ホースセラピーの分野も含め、馬に関する幅広い活動をしていこうということになったんです。ホースコミュニティの事業計画を作るにあたり、この業界では何が足りなくて、僕たちはどういう形で関われるのか、どういう活動をすべきなのか、まずは情報収集から始めました」“ホースセラピー”と聞いて、具体的にどういうものかが思い浮かぶだろうか。どこで行っていて、どんな効果があり、費用はどのくらいかかるのか。筆者は20年以上競馬と関わりを持っているが、それでもホースセラピーについての詳しい情報を知らなかった。
「情報が極端に不足している業界ですね。ホースセラピー自体の認知度が本当に低いんです。受けたいと思ってもどこで受けられるのかわからないし、勉強したくてもどこで勉強すればいいのかわからない。実情の需要と供給が合っているかさえもわからないんです。今は全国にあるホースセラピーを行っている団体を視察に行って、情報を集めている段階です。実際にホースセラピーや障がい者乗馬を行っている団体はたくさんあるんですよ。
ただ、情報発信が苦手だったり、そこまで手がまわらなかったり、逆に情報を表に出したくないところも多くて。例えば乗馬クラブの会員さんでたまたま障がいを持った方がいて、その方には乗馬をしてもらっているけれど、『障がい者乗馬をやっています』と言ってしまうと、障がい者の方がたくさん来てしまう可能性がある。そうなると専門の知識を持ったスタッフや適性のある馬がいなかったりと、提供する方としてはリスクが大きいんです。同じ単価でも、どうしても人件費がかかってしまうので、乗馬クラブとしては割に合わないということもありますし」 ホースセラピーや障がい者乗馬は、現在個々の団体で独自の手法で行われている。そのやり方も、費用も、馬に対する考え方も、団体によって様々なのだ。
「僕が調べた中では、全国50か所くらいです。今、調べた所を地図に貼っているんですけど、ボランティア団体もあるし、まだ見えないサークルがいっぱいあると思いますね。この中に大きな団体がいくつかあって、障がい者乗馬に特化した団体と、パラリンピックを目指したりする競技寄りの団体と、広義のホースセラピーとして活動する団体と、学術的な団体と。活動の仕方は大まかに4種類くらいあって、乗馬クラブが併設している所、福祉事業者が利用者さん向けにやってる所、単独で障がい者乗馬だけをやってる所、ボランティア団体が月1回とかで乗馬クラブの馬場を借りてやっている所、という感じです。
障がい者乗馬だけで活動している団体というのは、収益面はカツカツというか、自分の私財を投げ打ってされている方がいっぱいいて。障がい者乗馬の場合、単純に1人乗るのに、スタッフが4人くらい必要になるんです。馬に乗る時にサポートが必要ですし、サイドウォーカーとして横について歩きながらサポートするので。それを騎乗料だけで賄うとなると高額になるし、乗馬クラブと同じような経営をしていたら続かないんです。熱い想いだけで経営して、続かなくて潰れて行くところがたくさんあるのが実情です」▲全国に点在する団体、その現状を語るホースコミュニティ事務局長・山本高之
ホースセラピーや障がい者乗馬を広めるためには、何よりも活動に必要な適切な利益を生むシステム構築が必要なのである。そのシステム構築こそが、コンサルティング会社出身の山本に与えられた大きな課題だ。
「ホースコミュニティは3つの大きな事業計画があって、まず1つ目はメディア事業の中で、ホースセラピーのポータルサイトを構築して、情報を集約して発信する場を作ること。2つ目は引き続きイベント事業としてサンクスホースデイズを開催、さらに他の関連性のあるイベントともタイアップしていきたいと考えています。この2つは進んでいるんですけど、もう一つの3つ目は、馬と人の拠点となるナショナルセンター的な活動をしていきたいんです。馬と馬を扱える人というのは、ものすごく特化された世界なんですよ。僕みたいに馬に携わってこなかった人間は、馬ってどこにいるかもわからないし、どうやって扱うかもわからない。
本来馬の活躍の場は、乗馬クラブだけじゃなくて、もっとあるのかもしれないです。今、東北の方でも馬を取り入れて町の復興にしたいとか、農耕や観光として馬の文化を再度作って行きたいという活動も始まっています。また企業の福利厚生として、滞在型のホースセラピーを出来ないかという声もあがってきています。そういう新たに馬を扱う場所を作る時に適切な馬と人を支援出来る団体になれればと考えています。競馬や乗馬以外で馬が生計を立てて行ける場所が作れれば、新たな領域が出てくるかもしれないし、障がい者乗馬やホースセラピーはその一部分でやっていきたいと思っています」 現在競馬の世界では、引退馬を取り巻く環境を整備しようという動きが高まっている。(→関連コラム『第二のストーリー』
〜引退馬協会の取り組み〜)
引退馬協会の活動が広がりを見せていることや、JRAの助成金制度も、一度14歳以上まで引き上げられた対象年齢が、来年から10歳以上となるなど改善されている。ホースコミュニティでは、引退馬協会や助成金制度が適用される前の段階、引退から養老生活に入るまでのサポートを考えているという。
「抹消された競走馬たちのセカンドキャリア、サードキャリアに繋げていければと。3歳で抹消される馬たちもいますし、まだまだ活躍出来る馬は多いんです。近々引退馬協会の沼田恭子代表ともお話させていただきまして、連携を取りながら馬の養老牧場に行くまでの道を作って行きたいと考えています」 引退馬たちの未来について熱く語る山本であるが、これまで馬の世界とは全く別の道を歩いて来た。コンサルティング会社出身の山本が、なぜホースコミュニティにたどり着いたのだろうか。
「僕はものすごく馬に愛着心があったわけではないんです。トレセンのある栗東生まれ栗東育ちですが、馬に乗ったことはもちろん、見たこともなかったですから。義兄(福永祐一)が騎手をしていますので、たまに家族で応援に行くくらいでした。ですので入口は馬からではなく、福祉から入ったんです。大学を出て、経営コンサルティングの会社に入って、色々なことを学びました。
その後東京でIT関連のベンチャー企業を立ち上げて運営していたんですけど、自分のしている事業が本当に社会のために役立っているのか、本当に自分のしたい事なのか、ということをずっと悩んでいました。そんな中、東日本大震災やそのボランティア活動をきっかけに、日本の国づくり、政治の分野に興味が湧いて、1年間自民党の政経塾に通ったんです。そこで、いわゆるソーシャルビジネス(社会的事業、注1)という存在を知り、非常に魅力を感じました。
妻のお父さん(福永洋一さん)が重度の障がいを持っていますし、妻は理学療法士なんです。小さい時からお父さんのリハビリを見て、その道に進んで。妻は以前からホースセラピーに興味を持っていて、僕も馬を活用したソーシャルビジネスという未知な分野に興味が湧いて、栗東でそういう活動をしていきたいと思っていた矢先に、義兄から角居調教師を紹介され、それでホースコミュニティの活動にジョイントさせていただく事になったんです。僕の場合は、馬の福祉というよりも、法人名の通り“馬とコミュニティ”、馬を介したノーマライゼーションの実現ということを最初のコンセプトとして動き出しました」※注1 地域社会においては、環境保護、高齢者・障がい者の介護・福祉から、子育て支援、まちづくり、観光等に至るまで、多種多様な社会課題が顕在化しつつある。このような地域社会の課題解決に向けて、住民、NPO、企業など、様々な主体が協力しながらビジネスの手法を活用して取り組むのを、ソーシャルビジネスという。(経済産業省より)
▲「馬を介したノーマライゼーションの実現を最初のコンセプトに動き出しました」
ノーマライゼーションとは、障がい者も健常者も高齢者も子供たちも、お互いに区別することなく共に生きて行くことが本来の姿であるとする、社会福祉の理念である。日本はこの分野で、欧米各国から大変な遅れを取っていると言われている。どんな人でも区別することのない社会――それは理想であるけれど、いくつもの壁で隔たれているのが現実だ。しかし、そこに馬が居れば、壁が消えて行くのである。
「先日の名古屋競馬場でのサンクスホースデイズの時も、たくさんの障がい者の方が来てくれていたんです。名古屋競馬場ではもう4回目のサンクスホースデイズという事もあり、誰もその人たちに対して特別視するわけではなく、理想的なノーマライゼーションの社会が形成されていました。僕はそういう社会の在り方に魅力を感じているので、馬を介することで、またそれをきっかけとして少しでもノーマライゼーションの社会・文化が形成されていけばというのが、一番のモチベーションですね」 名古屋競馬場では何度も行われているサンクスホースデイズ。来年は福永洋一記念と共に高知競馬場で開催されることも決定し、金沢や園田でも話し合いが進んでいるという。ギャンブルのイメージが強かった競馬場が、社会に先駆けてノーマライゼーション実現の場となるのだ。
今、日本の競走馬たちは世界の舞台で戦える力を付けている。しかし、そのことが日本の馬文化にどれだけ寄与しているだろうか。現在の日本で馬たちと触れ合えるのは、一部の限られた人間だけである。日常に馬がいる風景を作ることは、社会理念を変え、馬たちを救い、人を癒してくれるのだ。実現には、まだまだ時間がかかるだろう。しかし、必ず実現出来る日が来ると信じている。(文中敬称略、了)
【取材・文:赤見千尋】
※この企画は3日間連続掲載です。Part1は11/3(月)18時、Part2は11/4(火)18時、Part3は11/5(水)18時にそれぞれ公開されます。