▲園田から移籍してきた岩田の活躍、悔しさと2人の知られざるエピソードを明かす
現実を突きつけられた気分だった
2006年は北橋厩舎の解散と同時に、園田から岩田くんが移籍してきた年でもあった。結果からいうと、この年、岩田くんは126勝で全国3位、自分は88勝で全国9位。園田から乗りにきているころはそれほど意識していなかったが、さすがにこれだけ勝たれたらそうはいかなくなった。黒船来襲──自分にとってはそれくらいの出来事だった。
それは、同世代(実際には岩田くんのほうが2つ年上だが)だったということも多分にある。語弊を恐れずにいえば、同期を意識したのは、“新人賞を獲らなければいけない”と思った1年目だけで、年齢が近い人たちに対して危機感を抱いたことはなかった。だから、ジョッキーになって初めて、誰かと自分を比較して焦りのようなものを感じたのだ。
もうひとつ、岩田くんを意識せざるを得なかったのは、エージェントが同じ人物だったということもある。確かに自分もいい馬に乗せてもらっていたが、岩田くんはそれ以上に見えた。実際、すごい勢いで勝っていたし、たとえばダービーひとつをとっても毎年のように有力馬の騎乗を任されていた。
そんな岩田くんへの意識が、いつしか自分のなかでストレスになっていった。そのストレスの源は、ほかでもない自分のなかに生じた岩田くんに対する“やっかみ”だ。当時はそんな自分の気持ちを認めたくなかったが、今ならそのときの気持ちと向き合うことができる。つくづく男のジェラシーほどみっともないものはない。
▲移籍前の2004年に菊花賞をデルタブルースで勝利、地方騎手として初めてJRAクラシックを制覇した岩田
一方で、岩田くんとは当時から仲が良かった。最近でこそ、自分が結婚したこともあって機会は減ったが、当時は四位さんと3人でよく飲みに行っていた。本当にただ飲んでいただけなのだが、岩田くんはすごく楽しそうで、「これが中央の遊びか!」と口癖のように言っていたのがおかしかった。本当にただ、まったり飲んでいただけなのに(笑)。
話を戻して、そのストレスがピークに達したのが、おそらく2007年の春。前にも書いたが、エイシンドーバーで京王杯SCを勝ったころだ。今思い出しても、あの頃が精神的に一番しんどかった。京王杯の勝利ジョッキーインタビューで、「これでもう少しジョッキーを続けられそうです」と話したが、あれは冗談でもリップサービスでもなく、本気でジョッキーを辞めることを考えていたからこそ出た言葉だった。
そのころには瀬戸口厩舎も解散し、勝ち星こそ微減に留まっていたが、GI級の有力馬への騎乗も明らかに減っていた。「結局、これまでの俺は、いい馬に乗せてもらっていただけなんだ」──現実を突きつけられた気分だった。
同時に、自分の技術面での限界も感じ、このままジョッキーを続けていても、これ以上、上には行けないんじゃないかという思いもあった。「“一番”になりたくてジョッキーになったのに、どうやらそれは叶いそうもない。ならばもうジョッキーを辞めよう」。今思えば、なんの行動も起こさず、ひたすら頭のなかだけで自分を追い込んで、そんな思いに駆られていたのだ。
そんな状況から救い出してくれたのが、エイシンドーバーでの勝利。あの1勝がなかったら、もっともっと追い込まれていたに違いない。
自分がデビューしてからというもの、トップは常にユタカさん。いつかは自分がその位置に…という思いではいたが、“年間200勝”なんていうとんでもない数字を何度も目の当たりにし、いつしかそんな気持ちも薄れつつあった。そこに登場したのが岩田くん。岩田くんは、虎視眈々とトップの座を狙っていたし、実際、同世代ということでずいぶん発破をかけられた。
「祐一くん、世代交代を実現するために、ふたりでもっともっと上を目指そうよ」
2008年の春、某雑誌の対談で、岩田くんは何度もそう言った。自分のそのときの答えはといえば、「うん…、でも無理やで」。自分のなかに焦りを生じさせたのも岩田くんなら、そんな自分に「祐一くん、そんなんじゃアカン」と言い続けてくれたのも岩田くんだった。
そういえば、その対談で騎乗論の話になったとき、岩田くんは「馬の骨の動きを感じて乗っている」と言った。そのときの自分は意味がわからず、「は? 骨?」と聞き返すのが精一杯だったが、今ならそれがよーくわかる。なぜなら、今は自分も馬の骨格や筋肉の動きに合わせて乗っているからだ。
自分と岩田くんが決定的に違うのは、自分はいろいろ理論を学んだ上でそれを実践しているのに対し、岩田くんの場合は、あくまで“感覚”であること。それでいて、馬を速く走らせることができ、人よりも優れた結果を出せる。そこが岩田くんのすごいところで、自分が絶対に敵わない部分だ。
思えば、後ろ盾がなくなったこと、岩田くんが移籍してきたこと、自分の技術に限界を感じたこと──その3つが重なり、初めて挫折感を味わったのが2006年から2008年の前半あたり。でも今は、その3つが一度にきてくれて良かったと思う。そういう時期があったからこそ、いったんゼロになろうと思えたから。
あの時期がなかったから、間違いなく今の自分はいない。(文中敬称略、つづく)
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