▲落ちるか上がるか、騎手人生の大きな転機を振りかえる
才能がないことは誰より自分が認めていた
今、思い出しても、2006年〜2008年あたりは、自分にとって大きな転機だった。もちろん、当時の自分と同じ状況になっても、それと気づかずにやり過ごしてしまう人、気づいていても動けない、あるいは動かない人、いろんな人がいると思う。
では、なぜ自分は10年というキャリアがありながら、ゼロになろうと思えたか。それは、ひとえに才能がなかったからだ。誰よりもそれを自分自身が認めていたし、このまま停滞していたら、あとは落ちる一方だということもわかっていた。だから、一旦フラットになることに対し、それまでのキャリアや実績が邪魔をすることは一切なかった。
自分に自信がある人というのは、得てして自分の変化に拒否反応を示す。たとえば壁にぶち当たったときも、原因を自分に求めず、周りに求めてしまいがちだ。その点が自分は違った。今となっては、才能がなくてよかったとすら思う。まぁ、最初から才能に恵まれていたら、挫折感を味わうこともなかったのかもしれないけれど。
馬乗りにとって、技術やテクニックはもちろん必要だが、それ以上に重要なのがセンスだ。センスのある人たちがプロになり、そのなかでも抜きん出たセンスを持っている人がトップジョッキーになる。自分も確かにリーディングを獲ったけれど、そういった選ばれし人たちに比べれば、今でも「馬に乗るセンスがない」といわれてもおかしくないレベルだと思っている。
かといって、人一倍努力をしてきたかといえばそうではないし、もともと「汗水垂らして努力する」なんていうのは好きではない。ただ、そのぶん自分なりに考えて、いろいろなものを取り入れて、人とは違うアプローチで足りない部分を補ってきたつもりだ。そして、幸いにもそれが奏功しつつある。それが今だ。
その第一歩となったのが、藤原英昭厩舎