今は馬場管理が格段に良くなり、極端にコースコンディションが悪化することが少なくなりました。走る馬たちにとってはいいことなのかどうか、スピード重視という点では、厳しい状況ともいえるのですが。
元々、道悪が上手という言い方は当っていないそうで、どの馬も馬場が悪くなれば走りにくいということだそうです。ただ、馬によって、それほど馬場悪化が影響しないものがいて、他との比較をして、そういう馬を道悪巧者と呼んでいるようです。
昔は、雨のチドリとか道悪の鬼ラファールとか呼ぶその種の巧者がいて、今よりもその特徴がはっきりしていました。それだけ、道悪が多く、巧者の出番がよくあったということです。
さて、メモリアルレースに取り上げられたオートキツは、昭和30年の道悪のダービーを勝った鬼でした。そのダービー優勝はフロックと呼ばれていましたが、古馬になってからダイヤモンドSをはじめ連戦連勝し、その底力が認められるようになったということでした。ただ菊花賞で、後に第一回の有馬記念を勝ったメイヂヒカリに大差の2着と敗れており、充実した時期での対戦がその後なかったのが惜しまれています。
このオートキツは、父が月友。アメリカから輸入された持ち込み馬でしたが、その父がマンノウォー。これこそ20世紀のアメリカを代表する名馬で、このマッチェム系中興の祖と言われています。この異種血脈は、マンノウォーがいて現在に伝えられているのです。月友は、日本の競馬創成期の内国産種牡馬として活躍したのですが、その一頭オートキツは、その競馬の流れの中に、確たる足跡を残した名馬たちの一頭でした。ついでながら、このサイアーラインからは、今話題になっているシービスケットも出ています。
マンノウォーが日本でも語られるのは、滅多にないことでしょう。