四半世紀という時は、怪物タケシバオーをも忘れさせてしまうものかと、時折、思います。それは仕方ないにしろ、何等かのかたちで、その強さを伝えるものはないのかと、やはり、この思いは消せません。
今度、顕彰馬の選び方を変えるそうで、タケシバオーは、きっとその俎上にのせられるでしょう。最後の機会となりそうです。
その戦績の素晴しさはどなたも異論のないところでしょうが、旧八大レースの勝利が春の天皇賞だけというところに、見たことのない者に訴えるものがないということのようです。しかし、タケシバオーを何故怪物と読んだかに言及すれば、この馬が殿堂入りしてもおかしくないと納得するはずです。
3歳と4歳の秋に、菊花賞や有馬記念を振ってまでもアメリカに遠征させたのは、馬主の小畑正雄さんの、当時のマスコミの熱望に応えた英断があったからで、それほど、ローレルのインターナショナル競走で世界の強豪と戦ってほしいという競馬ファンの後押しがあったということです。
輸送手段も今日ほど良くなく、長い検疫などですっかり体調をくずし、本来の力を出せずに終わった遠征でしたが、それがあったにしろ、国内の戦いぶりは見事な馬でした。
まず、3200mの天皇賞から、60キロを背負ってのスプリンターズSのレコード勝ちまで、常識を破る内容。さらには、65キロの極量を克服しての中山1800mジュライSの勝利と、今では考えられないオールマイティーの強さでした。また、東京のダート1700mの日本レコードなど、正に怪物と呼ぶにふさわしい活躍ぶり。あのダイナミックな走法は、見た者に強烈な印象を残したものでした。
さらには、4歳秋の毎日王冠の勝利で、史上初の1億円獲得馬にもなっています。
タケシバオーの残したものは、ある部分では不滅であり、異色の顕彰馬として日本の競馬史に名をとどめたい名馬なのです。