名馬メモリアルレースに登場したサクラスターオー。皐月賞を勝ちながら、両前繋靭帯炎という競走馬にとっての不治の病にかかるという不幸に見舞われ、そこから立ち直って、いきなり出走した菊花賞を制覇する奇跡を成し遂げたことは、やはり、病が病だけに競馬史に残る出来事といえるでしょう。
今思うと、この昭和62年、実に様々なことがありました。
サクラスターオーが勝った皐月賞は、スプリングSでどん尻から一気に追い込んだマティリアルが本命でした。しかし、ストレスから調子を落す一方で、皐月賞3着、ダービー、菊花賞は大敗に終わり、2年半も勝利から遠去かり、5歳の9月、中山の京王杯AHで大復活を遂げたのに、ゴール後に右前脚を骨折、手術の甲斐もなくこの世を去ってしまいました。サクラスターオーがリタイアで不出走だったダービーは、メリーナイスが勝っています。このメリーナイスは、菊花賞では1番人気に支持されながら、折り合いを欠いて9着に敗れ、有馬記念では、なんとスタートで落馬するというアクシデントに見舞われてしまいました。
そして、サクラスターオーは、菊花賞で奇跡の勝利をつかんで感動を呼んだ後、有馬記念では本命に推されました。ところが、最後の4角に入るときに左前脚に故障を発症してレースを中止していたのです。左前繋靭帯不全断裂、第一指関節脱臼という絶望的な症状です。安楽死をさせるほどの重症でしたが、再起させるべく懸命の治療がなされました。しかし、奇跡を再び呼ぶことはできず、5ヶ月後にこの世を去っています。
サクラスターオーを思うとき、大器完成に至らずこの世を去ったマティリアル、圧勝のダービー制覇ながらその後の成果が見られずに終ったメリーナイスと、どうもこの世代は呪われていたように思えてならないのです。
幸せが訪れない終りを見るのは切ないです。