東日本大震災が発生してから4年が過ぎた。
2011年3月11日の午後2時46分に自分が何をしていて、被害の大きさを知るにつれどんな気持ちになっていったか、誰もがはっきりと覚えているはずだ。
近現代の日本にとって、19世紀の終わりの明治維新や1945年の敗戦と同じく、その前とあとでは、人々の考え方や価値観が大きく異なる転換点となった。
私も、特に文章を書くことに対する考え方が大きく変わり、必然的に、書く対象の中心になっている競馬に対する向き合い方も変わった。この稿にも何度か記したので簡単にふれるだけにしておくが、ひと言で言うと、私にとっての競馬は、「ひとり遊びの対象」から「存在意義や魅力を伝える対象」になった。
以前は、自分の楽しみを増幅させる材料やプロセスを書こうとだけ考えていた。自分の文章がどんな反響を呼び、どんな動きを生み出すかを考えながら書くのは嫌らしいし、かっこ悪い。そもそも「物書き」なのだから、意識を及ばせるのは自分が紡ぎだす文字にとどめるべきだ、と思っていた。
ところが、震災後は、自分に何が求められているのか、自分に何ができるのか、自分にしかできないことは何か――をつねに意識しながら書くようになった。「自分」を「競馬」に置き換えても、同じことが言える。
もうひとつ、普通に風呂に入り、普通に体を横にして寝られることのありがたみや、当たり前に競馬場に行って馬券を買うことがいかに贅沢なことか――を、あらためて実感するようになった。
簡単に、と言っておきながら、長くなってしまった。
昨年9月、東京電力福島第一原子力発電所事故のため通行規制がつづいていた国道6号線の福島県富岡町−双葉町間が自由通行となり、3年半ぶりに国道6号線が全線開通した。また、今月1日には常磐自動車道の常磐富岡‐浪江間が開通し、東京から福島県いわき市、南相馬市などを通って宮城県の太平洋沿岸地域までの300キロほどが高速で結ばれた。
それにより、東京から、相馬野馬追の舞台となる相馬市と南相馬市までの時間距離がグッと短縮された。昨年までは、東北自動車道を二本松か福島西あたりで降り、そこから1時間以上かけて山を越えて浜通りに出なくてはならなかったので、片道5時間は見なければならなかった。常磐自動車道から磐越に入って船引三春で降りるルートでも同様だった。それが、これからは、渋滞がなければ3時間半ほどで行けるのだ。時間も短くて済むし、山越えルートの狭いワインディングで対向車を気にしながら走る精神的な疲れから解放されるのは大きい。
震災前、常磐自動車道は常磐富岡までしか開通していなかったので、震災前より短時間で福島の浜通りや宮城の沿岸部に行けるようになったわけだ。
相馬の北に位置する、宮城の山元トレーニングセンターの人馬にとっても、特に美浦トレセンとの行き来の利便性向上は非常に大きい。震災前は、国道6号線を南下し、常磐富岡から高速に乗って美浦トレセンまで、馬運車だと5時間ほどだった。原発事故のあとは遠回りして東北自動車道を経由するルートとなり、6時間ほど要するようになった。それが今回の全線開通により、4時間ほどで着くようになったのだ。
「自家用車なら美浦まで3時間ぐらいで行けるようになったので、ずいぶん動きやすくなりました」
と言った、山元トレセンの袴田二三男さんの声は明るかった。
まだまだ途上だが、「復旧」以上の時間短縮がなされ、一歩復興に近づいたことは前向きにとらえたい。
先週と同じような締めくくりになるが、今週も、いつもどおり普通に競馬ができることに感謝しながら馬券を買いたいと思う。