▲のちに世界NO.1スプリンターとなるロードカナロア、乗り替わりの悔しさを告白する
自省を込めて…もっと積極的な競馬をしていれば
2010年の関西リーディングの効果か、翌2011年はいい馬との出会いがたくさんあった。暮れの阪神ジュベナイルFを勝ったジョワドヴィーヴルをはじめ、ダークシャドウやルーラーシップ、ロードカナロア…。ワールドエースやジャスタウェイがデビューしたのもこの年だ。
ロードカナロアに初めて騎乗したのは、3戦目の3歳500万(京都芝1400m)。スピードの違いでハナに立ち、最後はラトルスネークにかわされてしまったのだが、間違いなく感じたのは、“これで道中タメが利くようになれば、ものすごい馬になる”ということ。馬体の良さや全体の雰囲気もさることながら、何よりエンジンの性能が別格だった。
続くドラセナ賞(3歳500万)と葵S(3歳オープン)は北村友一が騎乗したのだが、彼に「これがGIを勝つ馬やで」と言ったことを今でも覚えている。北村は、「えー、本当ですか?」と信じていない様子だったが、短距離のGIを絶対に勝てる馬だと思ったし、順調なら世界も視野に入るくらいのポテンシャルを感じていた。
秋の京洛S(オープン)から再び騎乗。ロードカナロアの可能性については、厩舎サイドも自分と同じ認識で、今後、距離を延ばしていくにしても、まずは1200mで競馬を教えていくという方針で一致していた。その京洛Sから、京阪杯、シルクロードSと3連勝。シルクロードSは4角9番手からの差し切りで、目指してきた競馬がようやく板に付いてきたのがこのころだ。
その後はご存じの通り、高松宮記念3着、函館スプリントS2着。この敗戦を最後に、岩田くんに乗り替わりとなった。ともに1番人気での惜敗で、言い訳をするつもりはまったくない。自省を込めて“たられば”を言うなら、もっと積極的な競馬をしていれば、勝っていたかもしれないと思う。
▲香港スプリント連覇でラストランを飾ったロードカナロア
▲世界一のスプリンターへと導いた岩田騎手
先々を見据えて、馬にいろいろなレースを経験させることと、目の前の1勝を取りにいくこと──もちろん、経験を積ませつつ勝っていくのが理想だし、自分が目指しているのもそこだ。ただ、それは言葉で言うほど簡単なことではないし、必ずしも関係者とジョッキーの目指すところが一致するはずもない。となれば、結果的にそれはジョッキーの独りよがりとして映り、実際にそうなのだろうと思う。
このときは、素直に考えを改める必要性を感じた。そして、何より乗り替わりとなった事実が悔しかった。
ロードカナロアのその後の活躍は、負け惜しみでもなんでもなく、“やっぱりな”という思いで見ていた。およそのケースでは、乗り替わった馬が活躍するのは複雑なものだが、ロードカナロアに関しては、不思議とそういう思いにならなかった。むしろ、3戦目で自分が感じたポテンシャルが、大きな舞台で次々と花開いていく様を目の当たりにし、うれしいとさえ感じていた。
自分の感覚は間違っていない。あとは、そういう馬に出会ったとき、その能力が開花したとき、その背中に自分がいられるかどうか。過程で生じるであろう様々な葛藤は避けて通れないものだが、それはもう多くの人間が関わっている以上、仕方のないこと。もっともっと巧くなって、いい仕事がしたい──そう思った。
この年、金鯱賞で初めて騎乗したルーラーシップも、本当にいい馬だった。今思い出しても、あの馬のトモの弾みはなかなか出会えないレベルだと思う。あの馬が日本で無冠に終わった理由はただひとつ、スタートだ。唯一のGIタイトルとなった香港のクイーンエリザベスII世Cでは、好スタートから好位置につけ、最後は1頭だけ次元の違う脚で突き抜けた。リスポリの騎乗も終始見事だったし、スタートさえまともに出れば、本来はああいう競馬ができる馬なのだ。
▲ルーラーシップ、2011年金鯱賞優勝時
結果的に自分は、2011年の金鯱賞、翌年のAJCC、日経賞と騎乗して3戦2勝。2012年の有馬記念を最後に引退となったが、もし現役を続行するなら、「乗せてください」と角居さんに直訴しに行こうと思っていた。自分は本来、そういうことをするタイプではないのだが、あのときばかりは本気でそう思った。返す返すも、あの馬のトモの弾みは素晴らしいものだった。種馬としても、きっとあのバネを受け継いだいい仔を出してくれるはずだ。(文中敬称略・つづく)
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