▲2011年に初のJRAリーディングを獲った福永。しかし内容は完敗と語る、その真相とは。
たかが数字、されど数字
たくさんのいい馬たちとの出会いがあった2011年は、初めてJRAリーディングを獲った年でもある。新聞や雑誌の報道では、「JRA初の親子2代リーディング制覇」を伝えるとともに、「悲願の…」という言葉がよく使われていたが、実際のところ、全国リーディングに手が届くのはもう少し先だと思っていた。
2011年といえば、コーチを付けてまだ2年目。取り組んでいたメソッドもまだまだ序盤だったし、いくら強気モードに気持ちを切り替えたといっても、さすがにここまでトントン拍子に目標が達成できるとは思っていなかった。
だから、“ひょっとしたら獲れるかも…”と意識し始めたのは、暮れも押し迫った12月18日、3週目が終わったころだ。というのも、12月2週目が終わった時点で、岩田くんが130勝、自分が124勝。あと2週で6勝差を逆転するのは、到底無理だと思っていたからだ。それが、3週目に岩田くんがまさかの未勝利、自分が土日で5勝をマークしたことで一気に1勝差となり、初めて“JRAリーディング”が現実のものとして迫ってきた。
思えば、この年は秋競馬に入って以降、ずっと岩田くんとの接戦が続いていたが、地方の勝利数では圧倒的に岩田くんのほうが多かったこともあって、JRA賞はもちろん、リーディングそのものをあまり意識していなかった。抜きつ抜かれつのデッドヒートの最中にあっても、“今年のリーディングは岩田くん”──そう思いながら戦っていたような気がする。
接戦ゆえ、周りからのプレッシャーはあったものの、精神的にしんどくもなかったし、少なくとも自分のなかにピリピリしたものはなかった。ただ、