当連載の第1回で扱った払戻金課税訴訟のうち、刑事の最高裁判決が3月10日に言い渡された。
大阪市の元会社員(41)が、JRAのネット投票で2005〜09年にかけて、約35億1000万円の馬券を購入し、1億5500万円の差益を上げながら、所得税の申告を行わなかったため、所得税法違反(単純無申告)に問われていた事件。
最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は、検察側の上告を棄却し、懲役2月・執行猶予2年の有罪判決が確定した一方、当該収入を「雑所得」と認定し、国税当局の主張した税額を大幅に削減した1、2審(大阪地裁、大阪高裁)の判断を支持し、検察、国税側の主張を退けた。
事件の当事者にすれば、地方税や重加算税を含め、上げた差益の6倍に及ぶ納税を命じられる理不尽極まりない状況に、6年近い法廷闘争の末、ようやく終わりが見えたことになる。遅きに失したとは言え、常識が通ったことに、この社会の一成員としてほっとしている。
率直に言って、「行政寄り」と言われがちな日本の司法だけに、今回も2審判決が出るまでは、相当な懸念を持って注視していた。逆に言えば、今回の課税が、最高裁にして「これほどの無理無体は認められない」と考える水準だったわけで、ここに馬券購入者の不幸がある。
「本質論」退けた多数意見
今回の刑事事件の2審判決が出たのは昨年5月9日。上告から約9か月を経た2月18日に、最高裁は弁論を開かない状態で判決期日を関係者に通知した。この時点で、結論が変わらないことは確実な状況で、判決も実にあっさりと終わった。
A4版7枚の判決を見ると、一時所得と雑所得に関する所得税法の条文を引用した上で、「営利を目的とする継続的行為から生じた所得は雑所得に区分する」とし、「営利を目的とする継続的行為」に該当するか否かは、「行為の期間、回数、頻度その他の態様、利益発生の規模、期間その他の状況等の事情を総合考慮して判断するのが妥当」と判示した。要は「ケースバイケースで判断すべし」という話だ。
検察側は、払戻金の本質的な性格が「一時的、偶発的所得」であるというほとんど一点にかけて、事件を最高裁まで持ち込んだと言っても過言でないが、本質論をあっさりと退けた格好だ。演繹法と帰納法がぶつかったような論争と言えるが、検察の主張は悪い演繹の典型だろう。
本件のように、網をかけるような方式で馬券を購入して得た差益が雑所得となれば、必然的に外れ馬券も経費となる。魚釣りで、釣れる時にだけ針を投げるのが不可能なのと同じ理屈である。
今回の事件は、(1)雑所得か一時所得か (2)外れ馬券は経費にあたるか ――の2つが争点だった。結果的に、大阪地裁から最高裁に至るまで、(3)の論点で雑所得と規定することで、(2)について「経費と認定する」という結論を導き出した点は同じである。
シンプルな法理論争だったためか、判決の多数意見は判決のざっと3分の2で終わっている。むしろ興味深いのは、残りの3分の1を占めた大谷剛彦判事の補足意見である。
大谷判事は、「差益=雑所得、外れ馬券=必要経費」と認定した1、2審に対し、「法令違反がある」と断じつつ、「本件事案の特殊性に鑑み、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは言えない」と、結論には承服した。同判事の論理は、一般論のレベルでは検察の主張に近い立場に立っているのだが、「巨額に累積した脱税額を被告人に負担させることの当否には検討の余地があり、原判決は(略)負担額の縮小を図ったと理解できる」と判断している。
安定的に差益を上げた事実があれば、雑所得や事業所得と認定されるべきと言うのが筆者の個人的意見で、大谷判事の意見の前段はいただけない。だが、「負担額の縮小を図った」という後段部分は、実は今回の裁判の本質をよく言い当てた言及であると考える。
実は「救済先にありき」?
今回の件と似た事例は現在、他に3件も争われている。いずれも形式は税務訴訟で、1件は横浜地裁、1件は東京地裁が舞台だ。うち、内容がかなり公になっているのが横浜地裁の事件だ。当事者は払戻金を事業所得と主張し、税額の削減を求めている。ただ、大阪の件と異なり、上げた差益を税額が上回る事態には至っていない。理由は当事者が1レースごとの詳細な記録を残していなかったためだ。
国税当局は事業所得認定を前提とした申告を受けたが、従来の運用通りに一時所得と見なして再計算した。ただ、根拠となる資料は金融機関が持つ週単位のネット投票口座の金額の推移しかなかった。そのため、差益が出た日だけを抽出した。当然、その日に購入した外れ馬券は経費に算定される。一時所得と規定しながら、大阪の件とは異なる方式で経費を認定したのである。個人的に資料を残していたかどうかで、これほど扱いに差が出ること自体、公平性を疑わせるに十分だ。
大阪の件は刑事の1審から最高裁と行政訴訟の1審の計4回、判断が出された。いずれも、「(1)(今回のような場合に限って)払戻金は雑所得 →(2)外れ馬券は必要経費 →(3)税額は大幅削減」という組み立てである。だが、法廷の心証形成は、「(1)差益の6倍の課税は理不尽 →(2)救済には外れ馬券を経費と認定することが必要 →(3)それには払戻金を雑所得と認定するのが前提」という順序だったのではないか。
「日本の司法は行政に甘い」と記したのは、過去の多くの行政訴訟で、「行政の都合」を考えたような判断がしばしば下されたためだ。今回も、払戻金が場合によっては雑所得や事業所得と認められ得るとなれば、行政側はある程度の線引きという面倒な作業を要求される。筆者が判決の行方を懸念したのは、「行政に面倒を極力かけない」という過去の姿勢が念頭にあったからだが、逆の結果が出たのは、それだけ今回の例が理不尽だったことを裏付けている。大谷判事の補足意見は、こうした特殊事情を反映している。
通達改正の行方は
国税庁は判決の翌日、一連の訴訟で問題となっている1970年の所得税基本通達を一部改定し、今回のような事例に限って、払戻金を雑所得と規定する方向を提示。この件に関するパブリックコメントの募集を始めた。