▲騎手を辞めることも考えたという嘉藤、“夢のよう”という語るダービーへの思い
騎手デビュー16年目にして、初めて日本ダービーに騎乗する嘉藤貴行。成績が低迷した時期もあったが、本人の努力と応援してくれる馬主や関係者の助けによって、ここ数年、再び成績を盛り返してきた。そして昨年夏に出会ったのが、ダービーでコンビを組むコメート(牡3・美浦・土田稔)だ。デビュー前からずっと手綱を取り続けているコメートとともに、大舞台に挑む心境や意気込みを、嘉藤騎手に話を聞いた。(取材・文:佐々木祥恵、撮影:佐々木祥恵、編集部)
調子に乗る新人の1人になってた
嘉藤に騎手になった理由を尋ねると「背が小さかったからです」という答えが返ってきた。
「競馬の世界とは縁のない家で育ちましたが、周りでダビスタが流行っていて、友達もやっていました。それを見ているうちに、漠然と背が小さいし、ジョッキーはおもしろそうだなと思って、試験を受けに行きました。ダビスタ世代というのもあって、競馬学校にはたくさんの人が集まっていて、絶対に受からないと思っていましたので、合格した時には本当にビックリしました。乗馬経験もなかったですし、なぜ受かったのだろうと不思議でした」
全くの白紙の状態からジョッキーとなった嘉藤は、2000年に無事デビューを果たす。当時は新人でも、騎乗チャンスに恵まれていたと嘉藤は言う。
「初勝利で騎乗していたリアルヴィジョンは、多分誰が乗っても勝てるだろうという良い馬でした。そういう馬に乗せてもらえましたし、ムチを使わないで勝つことも結構ありました」
1年目に19勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
「初めは良い馬に乗せて頂いて勝っていましたから、もう完全になめていました(笑)。調子に乗る新人の1人になっていました」
▲「初めは良い馬に乗せて頂いて勝てていた、完全になめていましたね」
2001年から2003年までは18勝、19勝、11勝と2桁勝利をマークしていたが、2004年から成績が下降し、騎乗数も勝利数も落ち込んでいく。減量の特典がなくなって騎乗数が減るという悪いスパイラルに、完全に嵌っていた。
「高くなった鼻もへし折られて(笑)、ちょっとふてくされて…。自分が努力しているわけでもないのに、何故乗せてくれないのだろうと思っていました」
と嘉藤は当時を振り返る。だが、完全に嵌った悪いスパイラルから、嘉藤は抜け出した。
手繰り寄せたコメートとの出会い
「腐ってしまう人もいると思うんですけど、腐らずに自分にできることをやりました」
やがてミルファームをはじめ、応援してくれる馬主や関係者が現れ、騎乗馬が増えていった。2011年の騎乗回数は108回だったが、2012年は311回、2013年は311回、そして昨年は344回に増加している。
「僕にできることは、限られていると思うんです。攻め馬を一所懸命するとか、真面目に生活をするとか、ちゃんと挨拶をするとかですね。そのような基本的なことしかできないと思うんです。自分に厳しくではないですけど、地道な努力の積み重ねが大きいのかなと思います」
地道に積み重ねてきた努力が、やがて1頭の馬との出会いを引き寄せる。
「昨年5月にケンレーシング(組合)さんのチーフテンという馬で8着になったのですが、オーナーがそれをとても喜んで下さいました。続けてチーフテンに乗せて頂いて、人気薄(15人気)で3着に来たのですが、この時もとても喜んで下さって、新馬に乗せて頂けるということになりました」
▲きっかけとなったチーフテンでの好騎乗
その新馬が、黒鹿毛のコメートだった。入厩した当初から、嘉藤はコメートの手綱を取っている。