▲第一線から退いてもなお、威厳を保ち続けるシンゲン
溢れんばかりのエネルギー
今週末、東京競馬場ではエプソムC(GIII)が行われる。今から6年前のエプソムCで、東京競馬場の直線を力強く走り抜けたのが、シンゲン(牡12)だ。
戦国武将・武田信玄に由来する馬名を持つ同馬は、度重なる骨折を乗り越え11歳まで現役を続け、今は美浦トレーニングセンターからほど近い育成牧場、ムラセファームで第二の馬生を過ごしている。
シンゲンは2003年2月20日、北海道千歳市の社台ファームで誕生した。父はホワイトマズル、母ニフティハート。母の父はサンデーサイレンス。祖母に1991年のセントウルS(GIII)や関屋記念(GIII)を勝ったニフティニース、祖母の弟に1994年の七夕賞(GIII)を勝ったニフティダンサーがいる血統だ。
2003年世代といえば、皐月賞、ダービー、春秋の天皇賞を制覇したメイショウサムソン、ドバイDF、ジャパンC、宝塚記念に優勝したアドマイヤムーン、朝日杯FS勝ちのフサイチリシャールらが名を連ねる。それらがクラシック戦線でしのぎを削っている頃、シンゲンはまだ未勝利だった。
3歳の7月に初勝利を挙げたものの、その後は休養に入る。しかし4歳の2月の復帰戦(500万下)を飾ると、1000万下の甲斐駒特別も制して、素質の片鱗を示した。休養を挟みながら、オープン入りを果たしたのは2008年。5歳の秋だった。
2005年12月のデビュー以来、2014年5月までの8年強に渡った競走馬生活のうち、シンゲンが最も輝いていたという印象が強いのが、2009年から2010年だ。特に2009年は、オープン特別の白富士Sを勝ち、新潟大賞典(GIII)で重賞初制覇を成し遂げ、エプソムC(GIII)でも勝利を収めたように、この時期は心身ともに充実していたように思う。
▲2009年エプソムC優勝時(撮影:下野雄規)
さらに11か月の休み明けで出走したオールカマー(GII)で見事に復活して、それをステップにして秋の天皇賞(GI・6着)、ジャパンC(GI・12着)に臨んだ2010年秋も、GI勝利に手が届くかと思わせた時期でもあった。
何度も骨折をし、そのたびに不死鳥のように甦ってきたシンゲンは、2005年12月にデビューして以来、2014年まで走り続けた。自身が初めて重賞勝ちを収めた思い出の新潟大賞典(GIII・12着)が最後のレースとなり、5月16日に競走馬登録が抹消された。
「ここに来てちょうど1年くらいになりますね」と話すのは、ムラセファームの場長、村瀬一敏さんだ。やがてシンゲンの馬房の扉が開かれる。そこに現れた威厳ある風貌に体全体にみなぎるパワー、もりっとした顎っぱりに気圧されて、一瞬後ずさってしまった。
無口をつける間、村瀬さんに口でちょっかいを出し続けるシンゲン。そのたびに「いてて、いてて」と村瀬さんの声が聞こえてくる。どうやら村瀬さんの腕に歯を立てているようだ。
いよいよ馬房から外に出るというその時、シンゲンが唸るように馬房から飛び出てきた。猛獣のようなその動きに、ここはスタリオンステーションかと勘違いしそうになる。唸るような勢いのまま放牧場所に放たれると、のっしのっし歩き回っては、偉そうな態度で放牧地の外を眺める。
▲放牧される場所から調教馬場を見下ろすシンゲン
シンゲンの視線の先には調教が行われている走路がある。「調教時間には、若い連中の走りをよく眺めてますね」と村瀬さん。馬場は放牧地より低い位置にあるため、高台から後輩たちの稽古の様子をまるで睥睨(へいげい)するようにシンゲンは監視しているらしい。
「現役時代、短期の放牧ではウチによく来ていましたけど、引退してもその頃とまるで変わらないんですよ。おっとりとか大人しいというのは全くないですね(笑)。気持ちは2歳や3歳負けないぞという感じです」
ホライゾネットを装着し、いつも2人引きでチャカチャカとイレ込んでいた競馬場での姿とは対照的に、さすがにここでは興奮もしなければ、イレ込むこともないそうだが、その体からは溢れんばかりのエネルギーがビンビンに伝わってくる。
シンゲンにとって唯一特別な存在
朝7時からお昼頃までの放牧時間に、日光浴を楽みながら後輩たちの調教をチェックし、後は馬房の中で過ごすというのがシンゲンの日課だ。スタッフの練習で、人が騎乗する日もある。
「調馬索でしっかりと運動をさせてからではないと、乗れないですけどね(笑)。まあ乗ると言っても乗馬ですけどね。競馬のように走路で走らせることはないですよ。ポコポコポコ乗っています」と村瀬さんはさりげなく言うが、そのポコポコすら迫力がありそうで怖い。けれども、戸田厩舎でしっかりと調教をされていたため操縦性は良く、乗り味もゆったりとしているのだそうだ。
威厳に満ち、威圧感たっぷりのシンゲンだが、可愛いところも持ち合わせている。村瀬さんに「シンちゃん」と呼ばれているのも意外だったが、草や人参を差し出されると、相好を崩して嬉しそうに顔を伸ばして食べている姿も微笑ましい。そして隙あらば、村瀬さんにパクパク噛み付き、村瀬さんはまたしても「いてて、いてて」と言いながら、シンゲンと楽しそうに戯れていた。
村瀬さんによると、シンゲンの態度をさらに変えてしまうのが、現役時代に同馬を管理していた戸田博文調教師とのこと。
放牧中の管理馬の様子を見にムラセファームに戸田調教師が訪れると、威厳ある態度もどこへやら。戸田調教師が自分以外の馬のところに行くと、焼きもちを妬いて盛んに鳴いてアピールをするという。
「先生が来ると、鳴いて寄っていって、人参をもらっています。ムシャムシャ食べるので、ゆっくり食べれば良いよと先生も話しかけてていますよ(笑)」
そのエピソードから、シンゲンにとって唯一、頭が上がらない特別な存在は戸田調教師なのではないかと思った。
▲競走馬時代のシンゲンと、管理した戸田調教師(左)(撮影:下野雄規)
シンゲンの他にも、かつて戸田厩舎にいた馬たちが乗馬としてここで暮らしている。新潟2歳Sの勝ち馬ゴールドアグリ(牡11・父タニノギムレット 母タッチオブゴールド 母父ヘクタープロテクター)、兄に北海道スプリントC(GIII)優勝のハリーズコメットというマジカルブリット(牡9・父アグネスタキオン 母ウィッチズハット 母父Storm Cat・現役時代は3勝)、共同通信杯を制したブレイクランアウトの弟のダブルウォー(牡5・父ウォーエンブレム 母キュー 母父フレンチデピュティ)という面々だ。
「シンゲンの隣にダブルウォーを放牧しているのですけど、この馬にはシンゲンは結構強く出るんですよね。ダブルウォーも負けじとブーブー言ってますけど、やはりシンゲンより弱いですもんね(笑)」
▲共同通信杯を勝ったブレイクランアウトの弟ダブルウォー
2頭の戦歴を調べてみると、2013年の初め頃にトレセンでの在厩時期が重なっている可能性が大きい。2頭の間に完全なる上下関係ができたのは、この時だったような気がする。シンゲンにはブーブー言って若干の抵抗を試みるダブルウォーだが、普段は牛のようにボーッとしていて大人しく、騎乗や手入れなど良き練習馬として活躍しているそうだ。
競走馬時代はデビューから4戦目まで連続2着と好走を続けながらも勝ち星に手の届かなかった同馬だが、ムラセファームでは自分の役割をしっかりと果たし、なくてはならない存在となっている。
放牧場所の扉が開けられた瞬間、またしてもシンゲンは飛び出てきた。「これは現役時代とは変わりませんねえ。トレセンでもそうだったみたいですよ」と村瀬さんも苦笑い。
今すぐにでも現役に戻れそうなビカビカの毛ヅヤとはちきれんばかりの馬体を踊らせながら、シンゲンは飼い葉が用意されている馬房へと戻っていった。第一線から退いてもなお彼らしさを失わずに、威厳を保ち続けるその姿に、畏敬の念を抱いたのだった。(つづく)
(取材・文・写真:佐々木祥恵)
※シンゲン、ゴールドアグリは見学可です。
茨城県稲敷市江戸崎甲1294-1
電話 029-892-6882
年間見学可(団体見学は不可)
見学時間 13時〜17時
見学を希望される方は、必ず前日までに連絡をしてください。
引退名馬 シンゲンの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/2003102599引退名馬 ゴールドアグリの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/2004103219