メジロのおばあちゃんと呼ばれ、世代を超えて親しまれていた北野ミヤさんが亡くなりました。骨太の発言に耳を傾ける人が多く、競馬人でおばあちゃんの影響を受けたものは沢山いたと思います。
メジロ牧場に最初の取材で行ったのは25年以上も前になりますが、丁度札幌競馬の中継で出張しての帰りでした。ミヤさんの御主人で牧場を創設された北野豊吉さんの、車で一緒しましょうの一声で、レースが終って直ぐ、同乗させていただきました。助手席に座って後部座席の御夫妻に話を伺いながらのドライブでしたが、ふと気がつくと、御主人の豊吉さんはくつを脱ぎミヤさんのひざの上に足を乗せ、ミヤさんはその足をさすったりもんだりしているのでした。仲むつまじくほほえましいひとときでした。
一代で築いたメジロ王国、何よりも天皇賞を勝つことに心血を注がれ、メジロアサマからメジロティターン、メジロマックイーンと父系三代にわたる優勝は、オーナーブリーダーだからこそ成し得た快挙でした。
御主人の豊吉さんに先立たれてからは、ミヤさんが大黒柱として采配をふるっておられましたが、私共放送人にも心安く接していただき、人気がありました。飾らない物言いで切れ味があり、底辺でコツコツと働く人たちへの思いやりを忘れない心遣いは、どんなインタビュアーにも暖かく伝わっていたと思います。
夏の牧場に馬たちを見に行かれるのを楽しみにしておられ、誰よりも早く厩舎を見て歩くので、従業員の方々も油断できないという話を聞いたことがありました。メジロ牧場で学んだ若者が、北海道の各牧場で働くということは多く、その面での存在感も大きかったと思いますが、三冠牝馬メジロラモーヌの最大の功労者は、厩務員のヒロミだよという言葉からも、牧場の雰囲気がわかろうと言うものです。ひとつ時代が動きます。