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サンサン、シーバードパーク、メイワキミコなど「明和牧場」を彩った馬たち/動画

  • 2015年07月14日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲サンサンの娘リキサンサンとトウショウボーイの間に生まれたサンゼウス


凱旋門賞馬サンサン、日本で過ごした日々


 私が競馬を見始めた1970年代後半、メイワキミコというスプリンターが走っていた。これが「メイワ」という名称を意識した最初だった。ほどなくして「怪物」という異名を持ち、国民的ヒーローだったハイセイコーが種牡馬として繋養されているのも明和牧場だと知った。

 牝馬で凱旋門賞に優勝したサンサンが日本に輸入されて、繁殖生活を送っているのも明和牧場だった。アメリカの名馬バックパサーの子が明和牧場で生まれ、やがて種牡馬となって繋養されるようにもなった。実に数多くの名馬が、明和牧場に関係していた。レースに向けての最前線である「美浦トレセン」「栗東トレセン」と並び、私の中で「明和牧場」は憧れの場所となった。

 ハイセイコーに会いたくて、競馬に全く興味のない父にせがんで明和牧場を訪ねたのは中学2年の夏だった。その年、カツラノハイセイコがダービーに優勝し、父ハイセイコーの果たせなかった夢を現実のものとしていた。だが見学時間は既に終了しており、放牧地にはハイセイコーの姿はなかった。以来、ハイセイコーに対面する機会がないまま歳月は流れ、2000年5月4日、怪物は天国へと旅立っていったのだった。

 前出のメイワキミコやシーバードパーク、1980年の皐月賞馬ハワイアンイメージ、ウインザーノット、アップセッター(1983年NZT4歳S、新潟記念)、ミスタールマン(1985年目黒記念)、スタビライザー(1994年帝王賞)ら、人々の記憶に残る名馬を送り出して一時代を築いた明和牧場だったが、1998年には用地の大部分が買収されて、その地はビッグレッドファーム明和へと姿を変えた。

 だがビッグレッドファーム明和に隣接する場所には、今でも「明和牧場」は存在し、放牧地では馬が草を食み、ハイセイコーをはじめとする明和牧場ゆかりの馬たちの墓碑が静かに並んでいる。

第二のストーリー

▲明和牧場ゆかりの馬たちの墓碑


第二のストーリー

第二のストーリー

 牧場を経営しているのは、浅川明彦さん。明和牧場時代は事務を執り、役員にも名を連ねていた。今は少数ながらも生産を手掛け、養老馬を預かり、墓守をしている。

「墓守と言っても、たまたま墓の前にある土地が空いていただけです」

 そう遠慮がちに話すが、買収前の明和牧場を知る人が墓を守っていく…浅川さんはそういう運命に導かれたような気がしてならない。

 東京でサラリーマン生活を送っていた浅川さんが明和牧場に就職したのは、1994年1月。元々競馬ファンだったこともあり、明和牧場でスタッフの募集をしているのを知って転職をした。その当時は、牧場のほとんどが売却をされてしまうとは思ってもみなかったのではないだろうか。事務という仕事柄、馬に直接触れていたわけではない。それが今では馬たちの世話をする毎日となった。

 墓は2列に並んでいるが、明和牧場側の列は浅川さんが就職する前に亡くなった馬たちだ。一番手前から皐月賞馬のハワイアンイメージ、1984年のカブトヤマ記念勝ちのプロメイド(父マルゼンスキー)、リキウエーブ、ハワイアンイメージの父のファーザーズイメージ。

 ハワイアンイメージは前述したメイワキミコの弟にあたり、泥んこ馬場の皐月賞をパワーで押しきって優勝。さらにプロメイドはメイワキミコ、ハワイアンイメージの妹にあたる。プロメイドの墓碑には没年が1988年とあるので、産駒は1987年生まれのプロメイドスター1頭のみを残して亡くなったことになる。

 リキウエーブの墓には「幻の桜花賞馬」の文字が刻まれていた。1979年の新潟3歳S(重賞格上げ前・現在は新潟2歳S)と府中3歳S(現在の東スポ杯2歳S)と連勝し、クラシックへの期待が大きかったことが想像できるが、1980年に若い命を散らしている。それゆえの「幻の桜花賞馬」なのだろう。

 もう一方の列には凱旋門賞馬サンサンの墓がある。サンサンは浅川さんが明和にやって来た年(1994)の11月20日に老衰により25年の生涯を閉じた。

「僕が来た時には、ヨボヨボでした。真っ黒で毛むくじゃらで、そんなに大きな馬ではなかったですね。大人しくしていましたよ。それこそ最後の方は歩くのもおぼつかなかったので、スタッフが手伝って放牧地に出し入れしていました」

 1969年にアメリカで生まれてヨーロッパで競走馬となったサンサンは、1972年に凱旋門賞を勝った名牝だ。再び海を越えて遠い異国の地の日本で繁殖生活に入ったが、その晩年は牧場の人たちに大切にされて穏やかに日々を過ごしていたことが伝わってきて、温かい気持ちになった。

当時の最高価格、3億5000万で落札されたサンゼウス


 サンサンの隣にはシーバードパーク。父シルバーシャーク譲りの芦毛で、3歳(旧馬齢表記)時には、朝日杯3歳S(現在の朝日杯FS)で牡馬に混じって3着となり、クイーンC、桜花賞トライアルの阪神4歳牝馬特別(現在のフィリーズレビュー)に連勝して、桜花賞に駒を進めた。しかし、大雨で田んぼのような馬場を伏兵のホースメンテスコがスイスイと逃げ切ってしまい、1番人気のシーバードパークは2着に敗れた。同馬は古馬になってからも活躍し、京王杯スプリングHと関屋記念に優勝している。

「僕が来た時は、サンサンとシーバードとメイワキミコが功労馬で同じパドックに放されていたんですけど、シーバードは気が強かったですよ。スタッフが夜飼いをつけて、シーバードが食べているのを確認して、他の馬につけにいった時にドターンと倒れて、心臓麻痺でそのまま逝ってしまいました。大往生だったと思いますよ」

 1976年に明和牧場で生まれたシーバードパークは、生まれ故郷の牧場で1995年10月22日に19歳で天に召された。道路を隔てた放牧地には、アップセッターとシーバードパークの間に生まれたキューティアップが、サンゼウスを父に持つレースプログラムとともに午前のひとときを過ごしていた。

 ちなみにサンゼウスは、サンサンの娘のリキサンサンと天馬トウショウボーイの間に生まれ、1989年、当時セリでの最高価格3億5000万(税込3億6050万)で落札されて話題となった馬だ。

 浅川さんにサンゼウスの現在を問うと「あそこにいますよ」と教えてくれた。競走馬を引退したのち、しばらく種牡馬生活を送っていたが、今は引退して生まれ故郷で穏やかな毎日を過ごしている。

第二のストーリー


 シーバードパークの隣には「スプリンターズS2連覇 メイワキミコ」と記された墓があった。当時スプリンターズSは今でいうGIレースにはなっていなかったと記憶しているが、メイワキミコは1977年と78年のスプリンターズSを連覇しており、間違いなく短距離界を彩る名馬だった。

「ホントに小さい馬でしたよ。でもこの馬も気が強くてね。骨折して牧場に帰ってきましたから、左前脚がこぶになって曲がらなくてね。それでも年を取ってからも他の馬のお尻をかじったりしていじめていました(笑)。脚が悪かったから子供はそんなに生ませていません。それにしてもすごい馬でしたよね。19戦7勝という成績でしたけど、掲示板を外したのはオークス(23着)の1回だけ。オークスはさすがに距離が持たなかった。あとはすべて5着以内ですから」

 気の強かったキミコも、最後は立ち上がれなくなり、1999年10月10日に25歳で永遠の眠りについた。

 メイワキミコの墓の隣にはあの偉大なるハイセイコー、そしてサンサンの息子のウインザーノットの墓が並んでいる。ウインザーノットは、一世を風靡した種牡馬パーソロンを父に持ち、1980年3月3日に明和牧場で生を受けた。

 美浦の高松邦男厩舎からデビューしたが、勝ち上がるまでに5戦を要した。そのためクラシック戦線には縁がなかったが、古馬になってから函館記念2連覇、ギャロップダイナがシンボリルドルフに土をつけた1985年の秋の天皇賞で3着、翌年の同レースではサクラユタカオーの2着とビッグタイトルには惜しくも手が届かずに引退した。

 種牡馬になってからは、1994年のセントライト記念を制したウインドフィールズ、中日新聞杯、ダービー卿CT、CBC賞に2着とあと一歩のところで重賞を勝てなかったウインザーモレノを輩出している。

「神経質な馬でしたね。気がカッカカッカしていましたし。気に入らないことがあるとそっぽを向いたりね。気高いというのか、プライドは高かったですね。晩年は歯もなくなっちゃって、飼い葉をおじやみたいにして食べさせていました。最後は本当に甘ったれで、カッカしていた頃の面影がないくらいにのんびりしていました」

 そのウインザーノットも、老衰による心不全で2009年11月9日、天寿を全うした。29歳だった。

「明和牧場に縁のある馬は7勝というのが多いんですよね。ウインザーノットも7勝、(メイワ)キミコも7勝、シーバードパークもそう、そしてハイセイコーも中央では7勝でしたから」

 ハイセイコーが生まれたのは、新冠町の武田牧場だった。最初は中央競馬ではなく大井競馬場でデビューした。大井時代には6戦全勝と勝ちまくり、2着馬につけた着差も8馬身、16馬身、8馬身、10馬身、7馬身、7馬身ととてつないものだった。

 その圧倒的な成績を引っ提げて、ハイセイコーは鳴り物入りで中央に移籍してきた。地方競馬出身の馬が中央のエリートに殴り込みをかけるというこの図式は、日本人の心情に訴えかけるのに十分過ぎた。その人気はあっという間に全国区となり、日本中、ハイセイコーの名前を知らぬものがいないほどのブームを巻き起こしたのだった。(つづく)

(取材・文・写真:佐々木祥恵)


※明和牧場のお墓参りについては最寄の競走馬のふるさと案内所にお問い合わせください。

新冠郡新冠町明和138-10
年間訪問可能ですが、事前連絡を入れてください。
墓参 夏9:00〜15:00 冬10:00〜14:00

競走馬のふるさと案内所 明和牧場の頁
http://uma-furusato.com/i_search/detail_farm/_id_1127

競走馬のふるさと案内所
http://uma-furusato.com/

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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