▲2010年の京都金杯を勝ったライブコンサート
競走馬時代のオーナーさんの愛情を受けて
凱旋門賞馬サンサン、メイワキミコ、シーバードパーク、ウインザーノット、そして怪物ハイセイコーなど、明和牧場ゆかりの馬たちの思い出話に耳を傾け、サンサンの血を引くサンゼウス(牡27)を前に懐かしさに浸っていると、隣の放牧地の馬が柵に近寄ってきた。明和牧場の浅川明彦さんに何げなく馬名を尋ねると「ライブコンサート(セン11)ですよ」という答えが返ってきた。
ライブコンサートといえば、京都金杯の勝ち馬だ。ポリポリとおいしそうに草を食み続けるライブコンサートの姿を眺めながら、思いがけない出会いに感謝した。
▲京都金杯優勝時、鞍上は岩田康誠騎手
ライブコンサートは1996年のジャパンCに優勝したシングスピールを父に持ち、2004年4月8日にアイルランドで生まれた外国産馬だ。栗東の白井寿昭厩舎から2007年の1月にデビューして、6戦目で武豊騎手の手綱で初勝利を挙げている。3歳の夏以降、長期休養や去勢手術などを挟み、4歳後半からはコンスタントにレースに出走している。2009年2月にオープン入りを果たし、2010年1月には岩田康誠騎手を背に京都金杯で重賞初勝利を成し遂げている。
その後もライブコンサートは走り続け、明け9歳の1月の京都金杯の16着を最後に競走馬登録を抹消された。当時のニュース記事を読み返すと「今後は、JRA栗東トレーニングセンターで乗馬となる予定」となっている。引退からおよそ2年。現在は栗東から北海道の新冠町へと移動し、ここ明和牧場で余生を過ごしていた。そのゆったりした様子からは、この明和牧場がライブコンサートの居場所なのだと感じられた。
「この馬は、競走馬時代のオーナーさんからの預託なんです。栗東で1度乗馬になったのですけど、骨折をしてしまい乗馬としては難しいということで、もう1度オーナーさんが引き取ってウチに預託をして下さいました。去勢される前は気性が激しかったようなことを聞きましたけど、大人しいですよ。甘ったれでね(笑)」
競走馬時代の馬主さんが再び引き取り、余生の面倒を見る。馬主さんのライブコンサートへの深い愛情を感じて、心が温かくなった。
サンゼウスの奥の放牧地にいる馬も気になった。浅川さんに問うと「メジロディザイヤー(牡21)です。ここに来て10年くらいになるかな。この馬も現在のオーナーさんからの預託馬です」、またしても思いがけない馬名が飛びだした。
メジロディザイヤーといえば、母が牝馬3冠のメジロラモーヌ、そして父がサンデーサイレンスということで、活躍が期待された馬だった。しかしその成績は未勝利戦と障害未勝利戦の2勝にとどまり、決して期待通りとはいかなかった。
▲父がサンデーサイレンス、母がメジロラモーヌという良血馬
引退後は良血を買われて種牡馬入りしていたが、2006年8月に供用が停止されて用途変更となっていた。そのメジロディザイヤーが、ここ明和牧場にいる。ライブコンサート、そしてメジロディザイヤーと、人々の愛情を受けて命を繋いできた馬がいることがわかって、とても嬉しい取材となった。北の大地に降り注ぐ太陽の下、両親の青鹿毛を受け継いだ漆黒の馬体が輝いていた。
今も昔も馬を大切にする牧場
「現在の明和牧場の形になった最初から、養老馬はいます。元々の明和牧場にいたスタビライザー(1994年帝王賞優勝)とウインザーノット、サンゼウスで養老は始めました。スタビライザーは、物事に動じない馬でしたね。有名なところでは秋の天皇賞(1998年)に勝ったオフサイドトラップも預かりました」
1998年の有馬記念(10着)を最後に競走馬登録を抹消したオフサイドトラップは、種牡馬として門別町(現・日高町)のブリーダーズスタリオンステーションで繋養される。2003年に種牡馬を引退したのちは、同じ門別町の日高ケンタッキーファームで功労馬として過ごしていたが、2008年、同ファームの閉鎖に伴い、明和牧場へと居を移したのだった。
「種馬をやっていた頃は噛みつかれた人がたくさんいて凄かったと皆言うんですけど、去勢されていたこともあってウチでは大人しくてとても可愛かったですよ。柵癖が凄かったんですよね」
と浅川さんは在りし日の天皇賞馬の思い出を語った。オフサイドトラップは、2011年8月29日に疝痛のために明和牧場で20歳の生涯を閉じた。
ライブコンサート、サンゼウス、メジロディザイヤーと3頭分の放牧地の向こう側にも黒っぽい馬が1頭いた。馬名を尋ねると「ウチで生産したマルタカセダン(セン18)です」と浅川さん。放牧地に行くと、興味津々にこちらにやって来た。
▲明和牧場の生産馬マルタカセダン
クリンとした瞳で、人懐っこそうな表情をしている。父がサクラトウコウ、母はビューティクイン。祖母がメインディッシュで曾祖母が名牝メイワキミコに繋がる血統だ。中央、地方を含めて77戦8勝という成績を残しており、この馬もサンゼウス同様、明和牧場所有で余生を過ごしている。
「屈腱炎になって引退して乗馬クラブに行くことになっていたのですけど、お客さんを乗せているうちにまた屈腱炎を再発する可能性が高いと言われて、結局ウチで引き取ることになりました。この馬の時代は、生産者賞の他に父内国産馬奨励賞と市場取引馬奨励賞などがありましたので、出走するたびにお金が入ってきたんですよ。この馬がウチの厩舎を建ててくれたようなものですね。大人しくて病気もしないですし、手がかからない馬ですよ」
明和牧場の影の功労馬マルタカセダンに別れを告げ、牝馬たちの放牧地に向かう。こちらに気づいて柵の方に歩いてきたのは、レースプログラム(牝16)だった。
「レースプログラムはボーッとしていますよ。気が弱くてやられっぱなしなんです(笑)。預託馬のイーベルメロディー(牝25)とキューティアップ(牝28)の3頭で放牧していたら、水も飲ませてもらえないですよ(笑)。最初にイーベルメロディーが飲んで、その後にキューティアップですね。この2頭はものすごく仲が悪くて、イーベルメロディーがキューティアップをものすごくいじめるんです」
元々この牧場にいた馬が上位になりそうなものだが、後から来たイーベルメロディーが1番強いというのもおもしろいし、3頭の牝馬の力関係が人間界の女同士の関係とまるで同じで、思わず吹き出してしまった。
▲左がレースプログラムで、右がイーベルメロディー
▲キューティアップ、母は明和牧場で生まれたシーバードパーク
1番立場の弱いレースプログラムだが、2013年に出産した産駒がデビューを控えている。父ネイティヴハートを持つその馬は、ハヤブササンサン(牡2)と名付けられ、美浦の柴田政人厩舎に入厩した。
ネイティヴハートの母ポトマックチェリーが凱旋門賞馬サンサンの娘にあたり、レースプログラムの父はサンサンの孫のサンゼウス。つまりサンサンの3×4という奇跡の血量を持つのが、ハヤブササンサンということになる。
▲美浦の柴田政人厩舎に入厩したハヤブササンサン
母の父サンゼウスは27歳になった今も「ブチ切れたらわけがわからなくなります(笑)。ダーッと走り回ってね。放牧地に出す時なんかすごいですよ」と浅川さんが苦笑いをしていたが、明和牧場にいた頃のハヤブササンサンも、その気性を受け継いだのか、ヤンチャで元気の良い男の子だったようだ。
今回、隆盛を誇った時代の明和牧場にまつわるエピソードや、ハイセイコーら同牧場で天寿を全うした馬たちの様子、さらに浅川さんが引き継いできた明和牧場の現在を取材させてもらい、今も昔もとても馬を大切にする牧場だということがわかった。
それだけにハヤブササンサンには、その馬名が示す通りにサンサンの血を、そして明和牧場の名を再び世に知らしめる活躍をしてほしいと心から願いながら、牧場を後にしたのだった。(了)
(取材・文・牧場写真:佐々木祥恵)
※明和牧場の見学やお墓参りついては、最寄の競走馬のふるさと案内所にお問い合わせください。
なお明和牧場では引退功労馬の預託(1か月8万円・削蹄料込、獣医代別途)を受け入れています。預託馬についても、競走馬のふるさと案内所に連絡先をお問い合わせください。
新冠郡新冠町明和138-10
年間訪問可能ですが、事前連絡を入れてください。
墓参 夏9:00〜15:00 冬10:00〜14:00
競走馬のふるさと案内所 明和牧場の頁
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