新馬戦がスタートすると、もう1年が経過したかと時の流れの早さを痛感します。来春のクラシックを遠くにらみ、その一戦一戦の吟味を怠りなく、これぞダービー馬、これぞオークス馬と、移り気を楽しむのも競馬。だから言ったじゃないかと言われても、とんと心当たりが無く、覚えているのは言った当人だけで、他人は、先様が何を言ったか何ぞに興味は全然無いのであります。
ああだこうだと述べ合っているようで、互いに思うことが違っているので、かみ合うはずはないのに、時には盛り上がることもあるのが面白く、競馬談義を友人と楽しめるようになれば、人格的にも一歩前進と言うところでしょう。
日常から離れた話題を持てるようになることは、粋人への第一歩。競馬の場合、新馬戦から見ておくことで、その粋人の入口に立つことができるというものです。
ただし、ここで肝心なのが、他人の話を上手に聞き流せるかどうかということ。相手の話に乗っているように見せられなかったら、上手な聞き手ではありません。野暮でなく粋である、ここのところが肝心の要。粋人の域に近付くには、聞き上手であること。そして、知らぬ間に自説に耳を傾けさせているようにしていること。相手が聞きたくもない表情をしているのに気が付かずというのは、困ったものです。耳をふさいでいるのに声を発しても無駄というものですから。
好きな競馬のことであれば、いくらでも話は出てくるでしょう。
新馬戦が競馬年のスタートであれば、競馬談義の第一歩を新馬戦から踏み出せば、その積み重ねで、知識すなわち話題のネタは蓄えられていきます。これ、明日のクラシックの予想に役立つことは間違い無く、不勉強な専門家と十二分に論を戦わせられます。
競馬を10倍楽しむためにも、新馬戦から何かをスタートさせましょう。