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【特別企画】小島茂之調教師 キョウエイボーガンとの再会(1)/動画

  • 2015年10月27日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲ミホノブルボンの三冠を阻んだとも言われたキョウエイボーガン


引っ掛かって引っ掛かって…とにかく必死に乗っていた


 第76回菊花賞が終わった。キタサンブラックが優勝し、オーナーの北島三郎さんが公言通りに「祭り」を歌い上げ、レース後も大いに盛り上がっていた。

 今から23年前の第53回菊花賞(1992年)で、敢然とハナを切った馬がいた。同じく逃げ馬だったミホノブルボンの三冠達成を阻む要因を作ったとして、ヒール役となったキョウエイボーガンだ。4コーナーを回る時には、既に馬群に飲み込まれようとしていたボーガンだが、道中は小さな体を弾ませて実に軽快な走りを見せていた。

 三冠馬誕生を期待した人には、キョウエイボーガンは邪魔な存在だったのかもしれないが、彼はあくまでは自分の競馬をしただけだ。誰も悪者などいない。数年振りにこのレースのVTRを見て、改めて思ったのだった。

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▲第53回菊花賞、勝ったのは的場均騎手騎乗のライスシャワー(右)


 キョウエイボーガンは、1989年4月27日に北海道浦河町の尾野一義さんの牧場で生を受けた。父はテュデナム、母インターマドンナは、トウショウボーイを始め数々の名馬を送り出したテスコボーイの子にあたる。栗東の野村彰彦厩舎から1991年11月30日にデビューした同馬は、見事逃げ切って初陣を飾った。418キロの小柄な体を躍動させて、2着馬に2馬身半の差をつけての勝利だった。

 4歳(旧馬齢表記)の5月から、ボーガンの快進撃が始まる。露草賞(500万下)、白藤S(900万下)と連勝すると、7月の中日スポーツ賞4歳S(GIII)で重賞を初制覇する。秋シーズンを迎えると、神戸新聞杯(GII)でも前走に続いて逃げ切り勝ちを収め、4連勝を記録したのだった。

 キョウエイボーガンに声援を送り、その活躍を喜んでいる人がいた。育成時代のボーガンの背に跨っていた、小島茂之現調教師だ。

「当時は3歳。今で言えば2歳ですね。ボーガンに乗せてもらったんですよ。すごく引っ掛かる馬で、うまく併せ馬ができませんでした」

 小島師は当時、トレセンで働くことを夢見て、北海道門別町(現・日高町)のファンタストクラブで馬に乗る毎日だった。

「僕がいた厩舎の馬ではなかったのですけど、なぜかいつも乗せてもらっていました。引っ掛かって引っ掛かって、どうしたらこの馬を抑えられるのか…。馬乗りの「う」の字もわからない頃ですから、必死に乗っていました。もう乗るたびに、今日はこういう感じだったんですけど?…とか他の人にも質問をしていました。

ボーガンがいた厩舎スタッフに『小島さん、走りそうですか?』と聞かれて、その人は走ることがわかっていたのだと思いますけどね。僕はまだキャリアが浅くてよくわからかったのですが、わからないなりに『2つくらいは勝てるんじゃないですか』と答えました。小さい馬でしたけど、根性はありましたしね」

 ボーガンの思い出を、小島師は一気に語った。そして「一度、会いに行きたいと思っているんです。実際会いに行こうと思って、乗馬クラブに連絡を取ったこともあったんです」と言った。その言葉を受ける形で、小島調教師とキョウエイボーガンを訪ねる取材が実現したのは、ちょうど菊花賞を控えた10月19日だった。

「馬が若い。素直な顔をしていますね」



 現在、キョウエイボーガンは、群馬県の伊香保温泉からほど近い乗馬クラブアリサにいる。田畑に囲まれ実にのどかな場所に、厩舎と馬場はあった。

 その馬場ではネクタイにハンチング帽の紳士が馬に乗っていた。乗馬クラブアリサの中山光右さんだ。「毎日、4、5頭は馬に乗っているんです。まだまだ勉強をしなければいけない身ですからね」と今年65歳になるという中山さんの言葉は謙虚だった。

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▲群馬県東吾妻町にある乗馬クラブアリサ


 馬から降りた中山さんが馬房に案内してくれた。その中に穏やかな表情をした小柄な馬がいた。今年27歳(旧馬齢表記、現26歳)になるキョウエイボーガン(セン)だ。この小さな馬が、菊花賞という大舞台で果敢に逃げた馬なのだと思うと、熱いものがこみあげてくる。小島師は馬房にためらうことなくスッと入ると、ボーガンに寄り添った。

「背中は垂れていますけど、馬が若いですね。素直な顔をしていますし、元気そうですよね」

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▲キョウエイボーガンに寄り添う小島茂之調教師


 二十数年振りに会ったボーガンの首のあたりを「おっ、お前ここ凝ってるな」ともみほぐしながら、小島師は嬉しそうだった。

「この馬に乗っていたのは、馬乗りを覚えてすぐくらいです。僕が23、4歳くらいだったのかな。普段は本当におとなしい子でしたよ。でも今日はうまく乗れているかなと思っても、他の馬が横に来るとウワーッともう1回動いていくんです。まさにこの子のレースを見ていると、本当にそういう感じでしたよね。根性であんなに走るんだなと。凄い馬ですよね」

 ボーガンが走る時には、テレビの前で応援した。

「牧場の人にお願いして、重賞を勝った時の写真を頂いてね。引っ越しに次ぐ引っ越しで、どこにあるかすぐにはわからないですけど、ちゃんととってありますよ」

 小島師にとって、そのくらいボーガンは特別な馬だった。

「ファンタストクラブで乗った馬が何頭か重賞を勝っていますけど、ボーガンは初めて重賞勝ちした馬でしたしね。ましてや小さい馬で、血統的にもさほど期待はされていなかった馬でしたから。僕がいた厩舎の馬ではなかったので、そこの厩舎にポンと行って鞍をつけて運動して、そして乗ってという流れで、そんなにベタベタする付き合いではなかったですけど、あれが重賞に行く馬の背中なんだと教えてくれましたからね」

 小島師にマッサージをされているボーガンは、心地良さそうに身を任せている。

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▲キョウエイボーガン、マッサージに夢心地


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「僕のことは覚えていないと思いますけど、何か違うなとは感じているかもしれませんね。自分のことを話しているなとか、そういうのは伝わっていると思いますよ」

 確かにボーガンは、かつて自分の背に跨っていた小島師を忘れているのかもしれない。けれども馬房の中の1頭の馬と1人の人間が醸し出す雰囲気は、何とも言えず幸福感に満ちているように映った。

 自分がこれまで関わってきた馬に会いに行くことは、実はほとんどないと小島師は言った。

「でもこの子は僕にいろいろなことを教えてくれたいわば先生みたいな馬ですから、生きていると知ってからはずっと会いたいと思っていました。実際に自分の手元から離れて、消息がわかる馬自体が少ないですしね。それが今年の夏に新潟競馬場で引退馬の企画展が開かれていて、そこに僕が浅野厩舎で助手時代に乗っていたグランスクセーやトウショウヒューマの写真が展示されていました。

グランスクセーはパワーがあって、それはすごく苦労した馬でした。それが騎馬隊を除隊になって千葉にいると知って、この間会ってきたんです。放し飼いにされて自由にしていましたよ(笑)」

 繁殖に上がった馬以外に、第二、第三の馬生を過ごす馬たちに会うのは、そのグランスクセーに続いて、今回のキョウエイボーガンが2頭目となった。

「そろそろ放牧に行きますよ」中山さんが、ボーガンと小島師に声をかけた。

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▲乗馬クラブアリサの中山光右さん ホースマンとして身だしなみにも気を配っている


 馬房から曳き出されたボーガンは、ゆったりとした足取りで馬場へと向かった。明るい場所に出てきたボーガンは、やはり小柄で可愛らしい。仲間がもう1頭出てきた。ここではルージュ(セン)と呼ばれている元競走馬で、ボーガンとは仲良しだ。秋の柔らかな日差しの下、昼下がりの放牧タイムが始まった。(つづく)

(取材・文:佐々木祥恵)


※キョウエイボーガンは見学可です。

〒377-0302 群馬県吾妻郡東吾妻町岡崎1642-1
電話 090-1610-4668
展示時間 9時〜17時
見学の際は、前日までに連絡をしてください。

乗馬クラブアリサ HP
http://www.riding-stable-arisa.com/

引退名馬 キョウエイボーガン
https://www.meiba.jp/horses/view/1989104392

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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