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中谷雄太騎手(2)『移籍してからの充実の日々“今が最高に楽しい!”』

  • 2015年11月09日(月) 12時00分
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▲新天地を求めていよいよ栗東移籍へ、そのいきさつを明かします


GI級の馬たちとの出会いによって、騎手魂に再び火がついた中谷雄太騎手。さらには、サポートしてくれる周りの方々の協力もあり、騎手としての意識も高まっていきます。新天地を求め、いよいよ栗東移籍へ。その背景には、矢作芳人調教師という大きな存在がありました。(取材:東奈緒美)


(前回のつづき)

今は仕事のことしか考えてない


 2013年の暮れに活動の拠点を栗東に移された時、サポートしてくださったのが矢作先生だとお聞きしたのですが?

中谷 矢作先生です。先生がいなかったら、今の自分はいないと思いますからね。先生には感謝してもしきれないくらいです。そもそも自分の気持ちとして、栗東に行きたいなというのはあったんです。美浦で乗っていた時の馬は、ローカルでも勝負には厳しいなっていう馬も多くて。結局この世界は、結果が出なかったら落ちぶれていくだけですからね。

 勝てる馬に乗れる環境を求めて、栗東移籍という選択肢を。

中谷 はい。ただ美浦にいる時は、数はそこそこ乗せてもらっていたんです。その分栗東に来たら、最初は同じ数は乗れないだろうというのは覚悟しました。でも、この際数は関係ないなと思って。

その頃、たしか中京開催の時だったかな? 矢作先生とお話する機会があって、「関西馬に乗ってみたいんです。栗東に行ったことがないし、先生のところで調教に乗せてもらえないですか」って相談したら、「いいよ。来ればいいじゃないか」って言ってもらったんですよね。

 矢作先生とのつながりは、その時からですか?

中谷 いや、もともとは馬主の三浦大輔さん、…というか、初めは(松岡)正海なんですけどね。正海がリーゼントブルースで勝ったときに、2人で横浜スタジアムに応援に行ったんです。その夜に、三浦大輔さんと先生とご飯を食べに行って。そこから徐々に、先生とも会う機会が増えてという感じです。

 ある意味、松岡騎手のおかげでもあるんですね。

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▲「ある意味、松岡騎手のおかげでもあるんですね」


中谷 正海は後輩なんだけども、ずっと仲よくしてもらっていて。本当にいいヤツ。僕はジョッキー同士で仲よくするタイプじゃないので、プライベートまで一緒にいることってほとんどないんですけど、正海とは1週間のうち半分ぐらいは一緒にいたんじゃないかな。

 栗東に行くことも相談されたんですか?

中谷 実は、最初は何か月とか短期で帰るつもりだったんです。だから正海には「ちょっと矢作厩舎に行ってくるわ!」みたいに言ったと思います(笑)。

 そこからどうして完全移籍されることに?

中谷 それも、矢作先生が気にかけてくれたからです。「雄太、これからどうするんだ?」「先生、年明けの開催が中京、小倉、中京だから、その3カ月は栗東から通いたいんです」っていう話をして。そうしたら、「向こう(美浦)は大丈夫なのか? うちはいいけど、向こうにもお世話になった人がいるんだろう」って。

自分としては、ずっと葛藤があったんですよね。栗東に来て1年ぐらい経った時かな。騎手を続ける以上は、こっちで勝負したいっていう気持ちになっていって。中途半端だなっていうのも、ずっと感じてましたしね。先生にも相談して、所属変更した方がうまくいくだろうなって。

 所属変更すると、やはり違うものですか?

中谷 “お客さん”の感じがなくなって、“栗東の騎手”って見てくれるようになったのは感じますよ。それから乗り鞍も増えたと思いますしね。

 栗東と美浦とでは雰囲気も違うと思うんですけど、すんなり入っていけましたか?

中谷 どっちかがいい、どっちが合わないというのは全然なくて。僕自身は、どこにいても変わらない仕事をしているつもりですし。ただ、今の方が結果が出ているので、それは何が違うんだろうな??

 関西の水が合うんですかね。ノリも関西っぽいですもんね(笑)。

中谷 たしかに水は合うのかもしれない(笑)。結構僕も言いたいことを言うタイプなので。関東だと生意気だって思われるけど、こっちだとわりと受け入れてもらえる感じがして。聞いてるか聞いてないか、分からないですけどね(笑)。

 関西人は半分聞いてないですよ(笑)。私もそうなんですけど、結構適当ですよね。みんな自分がしゃべりたいことをしゃべって(笑)。

中谷 その感じも、僕には良かったのかもしれない。自分がしゃべりたいことしゃべって、向こうも「ああ、そうなん」って言って。コミュニケーションは結構取れてるのかなっていう感じはします。

 逆に、関西人は踏み込みすぎるから嫌だっていう人もいますが?

中谷 ああ、そういうのは全然平気です。むしろ、どんどん来てほしい(笑)。

 やっぱり関西が合ってるんですね。しかも、矢作先生という強い味方もいらっしゃって。矢作先生って優しいですよね。皆から頼られる、すごく器の大きな先生というイメージです。

中谷 あの器はどこまであるんだろうっていうくらい、めちゃくちゃ優しいですからね。僕だけじゃなくて、皆が先生を頼る。自分が先生ぐらいの年になった時に、そういうことができる人間になりたいなって思います。いろんな意味で尊敬していますし、これだけお世話にもなっていて、先生に足を向けて寝られないですよ。

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▲「これだけお世話にもなっていて、先生に足を向けて寝られないですよ」


 プライベートで先生と飲みに行かれることもあるんですか?

中谷 そうですね。ただご存じの通り、先生は忙しくてなかなかこっちにいないですので。こっちにいる時は「飯食いに行くぞ」って誘ってもらえるので、先生がいる時はできるだけ用事を入れないようにしてます(笑)。

 2人でお酒を飲みながら、語ってそうですね。

中谷 でもね、あんまり仕事の話はしないですよ。大体がギャンブルか女性の話(笑)。競馬について熱く語ることは、あまりないなぁ。なぜかって? 言わなくても伝わるから。まあ本当に、矢作厩舎の馬にたくさん乗せてもらっているし、他の厩舎からの依頼もだいぶ増えてきて。だからこそ、ここで結果を出さなきゃいけないっていうのはありますよね。

 それはプレッシャーでもありますか?

中谷 栗東に来たばかりの頃は、自分にプレッシャーをかけすぎてたのはあったかな。でもここ1年くらいは、そのプレッシャーを楽しんでます。レースに対して緊張するというのはなくて、毎日の仕事に対する張り合いというか。最近は結果も少しずつ出せるようになってきたし、今は本当にもう、仕事のことしか考えてないです。

 充実感が伝わってきます。今、楽しいですか?

中谷 最高に楽しいですね!「騎手人生をかけた大勝負」、本当にそういう思いで移籍したし、今もその思いで乗っています。このまま突き抜けられないようだったら、もう無理だろうっていうのもあるので、本当に今が勝負どころ。馬もある程度揃ってきて、これからだと思いますしね。勝負をかけてよかったなって、本当に思ってます。

(つづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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