▲ディープインパクトの池江敏行助手が語る有馬記念、そして自身のこと
今年もいよいよ有馬記念の季節がやって来ました。毎年様々なドラマを見せてくれるドリームレース。その長い歴史の中で、今回はディープインパクトの2度の挑戦にスポットを当てました。担当助手として毎日ディープの背中に跨っていた池江敏行調教助手に、当時の想い出、そして、その後の悲劇からの復活について語っていただきました。(取材・文:赤見千尋)
最強馬の“負け”日本中に衝撃
池江敏行調教助手は、叔父である池江泰郎調教師のもと、33年間調教助手を務めた。その間、メジロマックイーン、ステイゴールド、ディープインパクトをはじめ、数々の名馬の調教を担当している。
「マックイーンはけっこうやんちゃ、ステイはかなりやんちゃで手こずりました(笑)。毎朝仕事に行くのが嫌になるくらいでしたけど、この経験があったからこそ、ディープに出会った時にいい仕事ができたのかなと思っています。正直、ディープに毎日跨るっていうのは怖かったですよ。馬主さんや関係者だけの馬じゃない。たくさんのファンがいる、競馬界のスーパースターですから」 ディープインパクトは日本競馬史上2頭目の無敗の三冠馬となり、競馬界全体が熱狂の嵐に包まれた。その後、古馬との初対決となったのが2005年の有馬記念である。前年に天皇賞秋・ジャパンC・有馬記念を3連勝したゼンノロブロイを抑え、圧倒的な一番人気に支持された。
「負けられないというくらいの人気を背負っていたけれど、馬自身まだ若かったですし、周りからも3歳では無理でしょうという声もありました。三冠まではすごく自信があったのに、有馬はそんな甘いもんじゃないっていうマスコミや外野の声を聞いて、ちょっと弱気になる自分もいました。それが馬に伝わったのかもしれません」 レースはタップダンスシチーが逃げ、ハーツクライが3番手、ディープはいつも通り後方に位置付けた。じわじわと中団まで押し上げると、3、4コーナーで外から加速し、直線に入った時には完全に前を射程圏に捉えているように見えた。しかし、早め先頭に立ったハーツクライを最後まで捉えることができず、ディープインパクトは初めて負けたのである。この時、日本中に衝撃が走ったと言っても過言ではないだろう。
▲無敗の三冠馬として挑んだ2005年有馬記念はハーツクライの2着に敗れた(撮影:下野雄規)
「負けた時はさすがにショックでした。ずっと勝ち続けていたので、余計に勝つことへの執着は大きかったんだと思います。でも、馬がよく頑張ってくれたなっていう気持ちでした。惨敗したわけじゃないし、そんなに差のない2着でしたから」 ディープインパクトが負けた時、場内は大きなどよめきに包まれた。無敗の三冠馬として英雄になったディープが古馬の壁を破れなかったことは、関係者にとっても、ファンにとってもショックな出来事だったのだ。