中央競馬では、2月で旧年度が終わり、3月から新年度が始まる。定年を迎えた調教師は今月限りで引退し、新規に免許を取得した騎手は(順調なら)来月から実戦で騎乗する。といった解釈でいいと私は思い込んでいたのだが、正しくないのかもしれない。
3月からが新年度だとすると、今はまだ2015年度ということになる。しかし、2015年度の年度代表馬をはじめとするJRA賞の受賞馬は、昨年12月までの成績をもとに選出された。今週のフェブラリーステークスの結果は、2016年度のJRA賞の評価対象となる。
1月から12月までをひとつの単位とするなら、「年度」ではなく、「年」や「年間」のほうが誤解を招かなくていいような気もする。ただ、「年度代表馬」という言葉が定着している今、急に「年間代表馬」に変えたとすると、違和感があるし、優しすぎるというか、なんだか弱そうで、らしくない。英語にすると「ホースオブザイヤー」か。「ザ」が「ジ」なのかもしれないが、いずれにしても、私の座右の銘は「まあ、いいじゃないか」である。細かいことを言い出すとキリがないことって、そこらじゅうにあるものだ。
まあ、いいじゃないか。中央競馬にとって、2月と3月はいろいろな業務上の区切り、ということなのだろう。年末年始は世の中がお休みになるので、業務の引き継ぎに適さないし、中央競馬の場合、有馬記念という超ウルトラ総決算が終わった直後にあれこれ始めるのは慌ただしすぎる。だから、2月と3月の間で区切ることにしたのだろう、と、今、解釈を変えた。
ここ数年、私は自身に「まあ、いいじゃないか」と言い聞かせたり、気がついたらそう呟いていることが多くなった。
20代のころは、周りを見て、
――オジサンやオバサンって、どうしてこんなにいい加減なのだろう。
と不思議に思っていた。仕事に関して「切れ者」と見られている人でも、耳の後ろに寝癖がついていたり、鼻毛が見えていたり、突然「ブッ」と屁をこいても平気な顔をしていたり、というツワモノがけっこういた。旅の恥はかき捨て、ではないが、「細かいことはどうでもいい」と、その姿勢が語っていた。
私もどうやら、そういうオジサンになったようだ(だからといって、突然屁をこいて平然としているわけではないが)。
気にはなるけど、そのままにしておいたからといって別段害はない――といったことは、自然と「まあ、いいじゃないかリスト」に分類され、気持ちを落ちつかせている。肝心なこととそうではないことの違いが、年齢を重ねてわかってきたのか、それとも、単に鈍くなっただけなのか。それさえも、どちらでもいいじゃないか、と思ってしまう。
さて、先週末は、クラシック戦線の主役と目されていた牡馬と牝馬とで明暗が分かれた。
昨年(度)の最優秀2歳牝馬に選出されたメジャーエンブレムは、年明け初戦となった土曜日のクイーンカップを完勝。スピードの違いでハナに立ち、直線で5馬身突き放すという圧巻の内容だった。
牡馬のほうは、世代最強とも言われていたハートレーが共同通信杯で圧倒的1番人気に支持されながら、直線でいつもの脚を見せることなくブービーの9着に敗退。「二強」と言われたもう1頭のスマートオーディンも、いいところがなく6着に終わった。
当たり前だが、負ける馬がいれば勝つ馬もいるわけで、取消を経た休み明けでここを制したディーマジェスティの末脚を思い返すと、明暗の「暗」などと表現すべきではないのかもしれない。
いや、それにしてもメジャーエンブレムの強いこと。あの走力は父のダイワメジャー譲りなのだろうが、同じ牝馬ということで、メジャーの妹のダイワスカーレットの現役時代と重なって見えた。無事に行ってくれさえすれば、スカーレット級の期待をしてもいいだけの馬だろう。
この馬を持ち乗りで担当する田中大雅(ひろまさ)調教助手は、初代三冠馬を管理した田中和一郎の孫にあたる。所属する田村厩舎を束ねる田村康仁調教師の祖父の田村仁三郎は田中和一郎厩舎にいたことがあるというから、田中・田村両家の付き合いは、もうすぐ100年になるわけだ。
元騎手・調教師である田村仁三郎は、騎手としては秋山辰治の弟子だった。田中和一郎厩舎の所属騎手だったわけではないようなので、こういう表現になった。
これからも、競馬史に関する細かいことは、簡単に「まあ、いいじゃないか」とは言わず、突き詰めていきたい。
一部、敬称略となったことをお断りしておく。