
▲忘れられない騎手最後の日、振り返ってみての騎手人生…本音を明かします
毎年3月は新人騎手のデビューの時。特に今年は女性騎手の誕生で、例年以上に大きな注目を集めています。しかし、新たな仲間を迎えるということは、ライバルが増えるということ。生き残っていくためにどんな道を選び、どんな決断をするかは自分次第。今月は、騎手として大きな決断をした2人を直撃します。今回は花田大昂元騎手の後半。騎手としてのラスト週をどんな思いで迎えたのか。憧れてなった騎手から離れてみて、いま一番思うこととは。(取材:東奈緒美)
(前回のつづき)
競馬場に向かうタクシーの中で涙
東 昨年末に引退が決まって、報道があったのが年明けの1月22日でした。そして、30日と31日が最後の週ということに。
花田 辞めるって決まってからの最後の1か月は、競馬に行くのが本当に楽しかったですね。特に最後の週は、一番幸せな2日間でした。あの時、競馬場に向かうタクシーの中で、「今日が最後なんだな」ってひとりで考えてたら、「…あら」って涙が出てきて。
東 実感が湧いたんですね。
花田 そうだと思います。「うわっ、ここで泣くんだったら、競馬中もずっと泣いてるんじゃないかな」って思ったんですけど、競馬場に着いたら全く泣かなかったっていう(笑)。土曜日が中京で日曜日が京都で、それぞれ1鞍ずつだったんですけど、土曜日は吉田直弘先生のところでいい馬に乗せていただいて。結果は出せなかったですが、そのレースも次の日の最後のレースも、競馬に乗れる喜びを感じられました。
※2016年1月30日、中京2R、ウインウェルス、4番人気5着
※2016年1月31日、京都3R、マンテンロード、13番人気14着
東 最後は笑顔で迎えられたんですね。
花田 最後まで楽しんで乗ってきました。僕の最後のレースで武豊さんがJRA通算3800勝を達成されたんですが、豊さんから「花ちゃん、最後やからプラカードを持ってくれる?」とお願いされたんです。喜んでお受けしたんですが、本当にいい思い出になりました。

▲武豊騎手の計らいで、記念のプラカードを持つことに
東 そのシーン話題になってましたね。豊さんが声をかけてくださったんですね。
花田 自分では分からなかったですけど、「花ちゃん、いい引退式だったね」とか、「花ちゃんの人柄が出てて良かったよ」ってみんなが言ってくれたから、そういうのも本当にうれしくて。
東 わたし、花田さんにお会いするのが初めてだったので、今回の取材前に周りの方に「花田さんってどんな方?」って聞いてみたら、誰に聞いても「優しくて真面目な方」って。
奥様 そんな風に言ってもらえたら、喜んじゃうね(笑)。
花田 しめしめ(笑)。
東 あはは(笑)。引退後、環境が変わって戸惑いはなかったですか?
花田 戸惑いはやっぱりありましたし、妻との会話の内容も変わりましたね。出馬投票のある毎週木曜には「今週は競馬ある?」「今週はないわ」とか、そういう会話があったんですけど、ジョッキーじゃなくなったら、それもなくなりました。
奥様 4週間くらい競馬がない時もあったけど、その一方で「今週は3鞍あるよ」という時もあって。この会話が、仕事があるっていう喜びを感じられる時だったよね。
東 騎手への未練というのは、ありますか?

▲「騎手から離れてみて、騎手への未練はありますか?」
花田 未練ですか。難しいところですけど、いまはもうないです。だって、最後勝てなかったですからね。去年の11月に、柴田光陽先生のところで1番人気の馬がいたんです。僕が乗って1番人気だから、豊さんだったら1.1倍くらいだったと思います。こんなチャンスはもうないだろうなっていう機会で、それで勝てなかったので。その時に「もうダメかな」って思いました。
※2015年11月15日、京都1R、アリノマンボ、1番人気5着
東 自分の中で、踏ん切りがついたというか。
花田 そこで吹っ切れたのはありますね。競馬に乗りたくて、美浦に行ったりセリに顔を出したり、小倉に滞在したりしてきました。まだまだ出来ることはあったのかもしれないですけど、自分としては限界。やることはやったって、満足しちゃったところはあります。いろいろアクションは起こしたけども、結局結果としては残せませんでした。それは僕の実力、責任ですからね。でも、美浦に行ったことは勉強になりましたし、自分の中での大きな財産です。
東 「この時こうしておけば」とか「もっとこうだったらよかったかな」とか、振り返って思うことはありますか?
花田 なんだろうな…浮かぶことはいくつかあるんですけど。一番は性格かな。乗ってるうちは、無理にでも勝気にじゃないですけど、「勝ちたいんです」って頑張って口にはしてました。もちろん、勝ちたいんですよ。本当に勝ちたいんですけど、乗れなくなってくると気持ちがだんだんと丸くなってしまって。後輩がたくさん出てくると、余計にそういうのは感じましたね。
奥様 よく「ジョッキーらしくない性格」とか「優しすぎる性格」って言われてたもんね。
東 ライバルを蹴落としていくような世界ですもんね。
花田 蹴落とせないんです…。そういうところでも、助手の仕事は自分でも向いているなって思います。みんなで輪になって協力し合いながら、ひとつの目標に向かっていく。特に吉田厩舎は、個人個人ではなく、みんなで勝利に向かってという厩舎ですので、合っているのかもしれないですね。
人生プランは「40歳までジョッキー」
東 これから、どんなホースマンでありたいですか?
花田 ジョッキーが乗って「乗りやすい」って言われるような馬を作りたいですね。ジョッキー目線じゃないですけど、ジョッキーの経験を生かしてやっていけたらいいなと思います。
東 花田さんならではですね。最後に、改めて「騎手になってよかったな」って思いますか?
花田 それは思います。ジョッキーの経験って、なかなかできるものじゃないですからね。今思えば、なれたこと自体が本当にすごいなって思うくらいなので。ゲームの中で見てきた豊さんとか、そういう憧れた人たちと一緒に競馬ができたのが一番嬉しいです。
東 また、勝った時の騎手だけがわかる喜びもあるんでしょうね。
花田 勝った時は本当にうれしいですね。一昨年の年明け、畠山吉宏厩舎(当時)のフォースフルで勝たせていただいたんですけど、それが結果的に最後の勝ち鞍になったんですが、思わずガッツポーズしちゃいましたもんね。500万下でしたけど、やっぱりうれしいんですよね。できることならもう1回勝ちたかったですし、ずっと騎手を続けたかったですもん。僕の人生プラン、40歳までジョッキーだったんですけどね(笑)。
※2014年1月5日、中山8R、フォースフル、3番人気1着
東 誰みたいなジョッキーになりたかったんですか?
花田 僕の憧れは渡辺薫彦さんです。生き方がカッコイイなって。人柄が良くて、競馬にも乗って、かつ勝っているというのが、すごく羨ましかったです。若くして重賞を勝たれたから、乗れるイメージもあるし、師匠の沖芳夫先生のところに最後まで所属もされて。そういうジョッキーっていいなって思ってました。

▲ナリタトップロードで菊花賞を優勝した渡辺薫彦元騎手(現調教師)。デビュー6年目でのGI制覇(撮影:高橋正和)
東 渡辺薫彦さんはいまは調教師になられて、早速勝利も挙げられましたけども、花田さんもいつかは調教師に?
花田 いやいや、まだまだそんなことは。僕はそんなに賢くないですしね(笑)。なにより、助手としてまだまだですから。まずは今できることを精一杯頑張りたいです。吉田厩舎の皆さんにも良くしていただいて、すごくやり甲斐を感じる日々です。
東 みんなに愛されそうな性格ですよね。
花田 そういっていただけるとうれしいです。これからはジョッキーの経験を活かしてGIで勝てるような馬を作れるように頑張っていきたいです。(了)

▲騎手経験を活かしてGI馬を作りたい ―新たな夢に向かって
【掲載スケジュール】■柴田未崎騎手(3月7日14日の全2回)
1977年6月18日生まれ。「花の12期生」として1996年にデビュー。2011年3月31日に一度は騎手を引退し、美浦・斎藤誠厩舎で助手となる。13年に騎手試験に再び合格。14年3月に騎手復帰。その後、所属を栗東に変更。
■花田大昂元騎手(3月21日28日の全2回)
1990年1月1日生まれ。競馬学校27期生として2011年にデビュー。同期は藤懸貴志、森一馬ら。16年1月31日をもって騎手引退。JRA通算676戦11勝。現在は栗東・吉田直弘厩舎の調教助手。