▲現在笠松リーディングを走っている笹野博司調教師、その異色の経歴に迫る
前回は宮下瞳騎手の復帰レポートをお届けした「30代、夢をあきらめない」企画、第2弾は、ピザ屋の店長から厩務員に転身、38歳で調教師になった笹野博司調教師(42、笠松)。現存する地方競馬全場へ遠征を果たしたトウホクビジン(2015年引退)を管理し、現在は地元・笠松競馬でリーディングを走る。30歳手前までごく普通の競馬ファンだった笹野師は、なぜ安定を捨て、夢を追いかけたのか。(取材・文・写真 大恵陽子)
30歳手前で一からスタートする決意
はじめは、一般の競馬ファンとなんら変わりなかった。
子供の頃、父に連れられて行った笠松競馬場でオグリキャップやイナリワンが走る姿をカッコイイと思った。社会人になると、土日はウインズで馬券片手に一喜一憂し、血統が好きでPOGにも参加した。仕事は、ピザ屋の店長。有名チェーン店で20人前後のスタッフを束ねた。しかし就職して7年が過ぎた頃、正社員として安定した生活を送っていた笹野師に、ある思いがよぎり始めた。
“好きなことを仕事にしたい。いまの仕事は生きがいとなるのだろうか”
「27歳の時でした。小さい時は騎手になりたかったくらい競馬の世界に興味があったので、『やるなら競馬だ!』と思い、ピザ屋を辞めました。それまで馬に乗ったことがなかったので、まずは馬の勉強をするために千葉県のオリンピッククラブという学校に行きました」
安定した収入やそれまで築き上げてきたものがあった。しかし、30歳手前にして新しい世界で一からスタートする決意をした。
「周りは20歳前後の子達ばかりで、彼らから見れば僕はオッサンだったと思うんですが、みんな仲良くしてくれました。学校の近くにアパートを借りて、アルバイトをしながら通いました。入学して10か月ほどした頃、笠松の井上孝彦厩舎に厩務員として就職が決まりました。通っていた学校が馬主もしていて、井上厩舎に預託していた縁があったんです。ピザ屋で店長をしていた時は、店の営業が深夜12時までで帰宅すると2〜3時。ですが、厩舎では2時だともう仕事を始めています。生活は真逆になりましたが、やりがいをとても感じました」
地元の期待馬を担当し、川原正一騎手を背にJRA遠征をした。また、JRAの芝スプリント路線で活躍したルチャドルアスールがJRA未勝利で転入してきた時に担当もした。
「ルチャドルアスールは僕が担当した中で一番出世しました。今でもレースの時は応援に行ったりして、元気をもらっています」
誇りを持てる仕事に打ち込むうち、30代で新たな夢ができた。
「調教師になりたいって思うようになりました。自分で馬を仕入れて、触って、レースに使いたいな、と」
佐藤友則騎手とトウホクビジンを結んだ一言
38歳の時、調教師試験に合格。免許が交付された2週間後には初出走を迎えた。
「はじめは厩務員の時に担当していた馬1頭だけからスタートしました。その後、他の厩舎にいたトウホクビジンやタッチデュールを預からせていただき、たくさん遠征しましたね」