▲JRAへ移籍して3年半。現状をどう捉えているのか、岡田騎手が本音を語ります
41歳でJRA入りし、今年の10月16日に45歳を迎える岡田騎手。移籍から3年半が経ち、現状をどう捉えているのか、課題や難しさと考えていることは何なのか。知られざる本音を語るとともに、後に福山のトップジョッキーとなる岡田騎手の可愛い幼少時代のエピソードを明かしてくれました。(取材:東奈緒美)
(前回のつづき)
地方時代とは集中力の高め方が違う
東 岡田騎手ご自身、今年で45歳。やっぱりジョッキーさんは若く見えるなって、いつも思うんですけど、体力維持のためにされていることってありますか?
岡田 今はそんなにしてないですね。若い時はやっていましたけど、鍛えて実になるような歳でもないので。ストレッチとかマッサージだとか、どっちかと言うとケアに力を入れています。
東 メンタル的にはいかがですか? 環境が変わって、地方とは違う世界で頑張っていらっしゃるわけですが。
岡田 レースに対しての気持ちの持っていき方が、地方の時とは全く違いますね。地方の頃は騎乗数が多かったので、その日の自分の調子ってレースでわかるんです。それに合わせて高めていく感じだったんですけど、今は騎乗数が少ないので、まさに一発勝負。その日その一鞍で結果を出さないといけないという、その持っていき方が難しいですね。今でも難しいです。
東 どういうふうに持っていくんですか?
岡田 半ば無理やりです。本来僕は、失敗から入るタイプで。最初から正解を求めないで、まずは自分なりに考えて準備をしていって、それでダメなら変えていくんですが、今はそうも言っていられませんからね。ただその分、一鞍にかける思いというのはより強くなりましたし、騎乗数を増やすことが一番の課題だと思っています。
東 JRAに移籍されて3年半が経ちましたが、ご自身としての評価はいかがですか?
岡田 評価ですか? まだ何も残せていないと思いますからね。こうやって取材をしてもらう時に、自分の話になると未だに「JRAの試験に合格した」という話になります。自分の中では終わっているところなんですけど、イメージとしてそこへ戻ってしまうというのは、何の結果も出ていないからだと思っています。僕の中では何も達成できていないですし、僕自身も周りからも評価はまだないと思います。
東 そう捉えられているんですね。じゃあ、これからもずっとチャレンジを続けて。
岡田 はい。本当にそれしかないですよね。
▲「まだ何も残せていない。これからもずっとチャレンジを続ける」と岡田騎手
自転車に乗ってジョッキーの真似事を
東 ちょっとお話は遡りまして、小さい頃のことをお聞きしたいんですが、お父様が福山競馬の厩務員さんだったという。
岡田 そうです。住まいは競馬場ではなかったんですが、小学1年ぐらいには父親の仕事場に行って、馬に乗せてもらっていました。最初は厩舎周りを曳いてもらうくらいでしたけど、だんだんとひとりで乗れるようになって、それがとにかく楽しくて。休みはほとんど友達と遊んでいないですね。馬に乗りに行っている方が楽しかった。
東 その頃から「ジョッキーになりたいな」と?
岡田 憧れてましたよね。すぐ近くが競馬場なので、競馬の日にジョッキーを見ては「格好いいなぁ」って。僕は覚えていなかったんですけど、小学校の卒業文集にはそう書いていたみたいですね。ステッキを持ちながら自転車に乗って、誰も見ていないのを確認して、ジョッキーの真似して自転車を叩いたりして(笑)。
東 かわいい! ちなみに当時の福山は、アラブのレースがメインですよね?
▲ジョッキーの真似して自転車を叩いていたエピソードに、思わず「かわいい!」
岡田 そうですね。僕がデビューした1991年当時も、アラブだけでしたから。サラブレッドが入ってきたのは2005年です。
東 アラブを実際に見たことがないんですが、サラブレッドとの違いってどういうところなんですか?
岡田 ん〜、正直そこまでの違いというのは…。失礼な言い方かもしれないですが、サラ系のレースを導入したばかりの福山に入ってくるサラブレッドですから、質が高いとは決して言えなかったですしね。
いくらかスピードがあるのかもしれないですが、福山の馬場形態が小さいので、サラブレッドの良さを消すようなところもあったと思います。まあ、アラブの方が丈夫かな? というくらいですかね。
東 そうなんですね。小さい時から本物の競走馬に跨って、実践で馬乗りを覚えていったんですね。
岡田 だからちゃんとした乗馬って、ほとんどやってないんです。それこそ、騎手試験の科目に乗馬があったので、試験前の1か月間ぐらいしか。
東 高校を卒業されてからジョッキーになられましたが、それも珍しいパターンですよね。
岡田 中学を卒業して地方のジョッキーになろうと思ったんですけど、年が離れた姉が2人いまして、姉たちと母親に「絶対高校だけは出ておけ」とビシッと言われまして。
東 女性3人だと強い(笑)。
岡田 そうなんですよ(苦笑)。小学1年からサッカーもやっていたので、僕自身も「高校でサッカーをやるのも悪くないかな」という気持ちがありました。それもあって、中学に行き始めてからは厩舎に行くのも少なくなって。サッカーの方が楽しくなった時期でもあったんですよね。
東 そこでキャプテンもされたわけですもんね。もうサッカーは燃え尽きましたか?
岡田 高校3年で大会がすべて終わって、進路をどうするかとなった時に、大学進学も考えたんです。体育大学に行って教員免許を取って、小さい子にサッカーを教えたいなって。それかジョッキーかの二択だったんですけど、やっぱりジョッキーが諦められなかったという感じですね。
(次回へつづく)