メジロファントムが大往生を遂げました。ファントム戦闘機との異名をとり、足掛け7年にもわたって現役を続け、44戦5勝、東京新聞杯と目黒記念を勝っていました。天皇賞と有馬記念に挑戦すること11回、そのうち3回2着に入っていました。特に旧5歳時の昭和54年の秋、天皇賞と有馬記念を連続ハナ差2着と涙を呑んだ時が思い出されます。
早目にスパートしたグリーングラスを追い詰めて写真判定に持ち込んだ有馬のレース後、取材でエレベーターに乗ろうとしたときにオーナーブリーダーの北野豊吉さん(故人)にバッタリ。すると、この馬はついてないからタイトルは取れないね、と一言。判定が下りる前に覚悟をなさっていました。
5年連続有馬記念に出走した他、天皇賞は春秋合わせて6回も戦い、重賞には全部で37回も出走と、名脇役的存在でした。
このメジロファントムの引退式は東京競馬場で、宝塚記念を戦った後の旧9歳の6月に行われました。
その頃の引退式は、まだターフビジョンがなく、進行は、実況放送席で馬の動きを見ながらやっていたのですが、馬の入場から退場まで、式を盛り上げる為の音楽も一緒にこちらで選んでいました。この選曲は、音楽好きの自分にとっては楽しみで、引退式のひとつひとつで工夫を凝らしていたものです。
メジロファントムの時には、それまでのクラシック曲のかわりに気分を変えてやってみようということになり、全曲ビートルズを選びました。
つまるところは自己満足を得るためだけの選曲でしたが、どこからも文句は出ませんでしたから、それなりに理解はしてくれたのでしょう。
メジロファントムはその後、東京競馬場の誘導馬としての任務を全うして余生を送っていました。私達の前に、最も長く姿を見せていた名馬でした。