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【矢作厩舎の厩舎力(3)】スタッフ対談 渋田助手×岡助手(前編)『ベテラン勢を奮起させた開業時の師の言葉』

  • 2017年02月09日(木) 18時01分
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▲矢作厩舎特集第二弾は厩舎を支えるスタッフ対談!岡助手(左)と渋田助手(右)


『2016年全国リーディング 特別企画』

2014年以来、2度目のリーディングに輝いた矢作厩舎。調教師、ジョッキー、スタッフ、門下生らのインタビューから、“厩舎力”に迫る特別企画。前回の師弟対談に続き今週からは、厩舎の全てを知る渋田康弘助手、若きリーダー岡勇策助手をお迎えしての、スタッフ対談をお届けします。

トークテーマは「スタッフが明かす好成績の理由」。12年前に開業した矢作厩舎。人集めも馬集めもゼロからの決して楽ではない環境から、師は“ならでは”の方法でスタートダッシュを決めます。スタッフの心を惹きつける師の“人間力”。数々の男気エピソードが飛び出します。

(取材・文:不破由妃子)



開業以来、自ら辞めていったスタッフがひとりもいない


──渋田さん、岡さん、本日はお忙しいなかありがとうございます。矢作厩舎特集の第二弾となる今回は、厩舎スタッフとして日々ご活躍中のお二人に、矢作厩舎ならではの“厩舎力・技術力”、そして矢作先生の“人間力”についてうかがっていきたいと思っております。

渋田 リーディングを記念しての特集ですよね? 僕は去年の1月から7月までケガで離脱していたので、本来ならば、ここで話をする権利はあまりないのではないかと…。

──いえいえ、開業時からいらっしゃる渋田さんは、矢作厩舎のすべてを知っている方だとうかがっています。岡さんをヘッドハンティングしたのも渋田さんだそうですね。

渋田 はい。「お前に任せるから、いいスタッフを引っ張ってきてくれ」と先生に言われていたんです。

 僕は池江泰郎厩舎の最後のシーズンの7月にトレセンで働き始めたんですが、けっこうギリギリまで次の厩舎が決まっていなかったんです。そんな時に、渋田さんに声を掛けていただいて。

渋田 正直、声を掛けたときは名前も知らなかったんだけど、きちんと挨拶のできる礼儀正しい子だなと思ってずっと見ていたから。矢作厩舎のカラーにすごく合っていると思ったし、周りの人間に聞いても、岡のことを悪く言う人間は一人もいなかった。

 それで、朝7時頃に岡を待ち伏せして声を掛けたら、「次はまだ決まっていません」ということだったので、すぐに矢作先生に報告してね。そうしたら、「何が何でもうちに連れてこい」ということになり、午前中のうちに池江先生の承諾もいただいた。

 本当にトントン拍子に話が進んで、その日の昼には矢作先生にご挨拶しましたからね。先生ともスタッフの方ともまったく交流がなかったんですが、矢作厩舎で働けるのであれば、もう是非にという感じでした。本当にありがたかったです。

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▲渋田「朝7時頃に岡を待ち伏せして声を掛けてね」岡「その日の昼には矢作先生にご挨拶しましたね」


──渋田さんご自身も、先生からのヘッドハンティングで田所清広厩舎から移っていらしたんですよね。

渋田 はい。先生とはまったく面識はなかったんですが、先生が調教師試験に受かったときから、なんとなく風穴を開けてくれそうな人だなという予感はしていました。それで、「ああいう人と一緒に仕事をしたいな」という話をしていたら、それが先生の耳に入って。

──それで、「うちに来ないか」と。

渋田 そうなんです。でも、僕は当時ですでに40代の半ば。「厩舎の将来のためにも、若いスタッフを育てたほうがいいのでは?」と言ったら、「俺は調教師試験に受かるまでに13年も掛かったんだから、スタートからぶっ飛ばしていく。だから、即戦力以外いらない」とおっしゃって。

──でも何度かお断りしたとか。

渋田 はい。当時所属していた厩舎を辞める理由がまったくなかったんですよね。番頭をやらせてもらっていましたし、調教でも主力でした。成績も環境もすべてが潤っていましたから、電話で何度かお断りしたんです。

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