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netkeibaの掲示板から始まった物語(1)―小柄な体で一生懸命走るタカラハニーを救え

  • 2017年05月02日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲netkeibaの掲示板から始まった物語、主役のタカラハニー


397、396、394キロ…小さな体で走り続けた競走馬時代


 タカラハニーという4歳の牝馬がいる。明るい栗毛に額から鼻筋にかけて走る白い作、そして愛くるしい瞳がチャームポイントだ。

 タカラハニーは今、愛知県半田市にあるナリタポニーランチに、ポニーのキュータやペルシュロンの大福、175戦を走り抜いたセントウイナー(牝8)ら仲間たちと一緒に暮らしている。今は馬場で元気に走り回っているハニーだが、ここに至るまでは紆余曲折があった。

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▲ナリタポニーランチで暮らす、ペルシュロンの大福


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▲175戦を走り抜いたセントウイナー(牝8)


 タカラハニー。2013年4月24日に、北海道むかわ町の清水ファームで生まれた。父はカンパニー、母はタカラハーバー、その父ボストンハーバーという血統だ。

 2015年5月13日、道営の門別競馬場でJRA認定競走の新馬戦でデビュー。2番人気に推されて、見事に初陣を飾った。その後、11月まで10戦を消化したが、掲示板に載ることはないまま、馬主も替わって笠松競馬場に移籍、新天地での競走馬生活が始まった。

 年が明けて移籍2戦目、3戦目で4着、2着と頑張ったのち、中央の京都、阪神競馬場でのレースも経験した。ちなみにタカラハニーは、デビュー戦でJRA認定競走を勝っているので、JRAで実施される特別指定交流競走(地方競馬所属馬が出走できる競走)に出走できる権利を有していた。

 2歳時は410キロ台を維持していた馬体重も、明け3歳になってからは400キロ前後になっていた。小さな体で懸命に走るハニーを気にかけるファンも少なからずいたようだ。4月に入ってからは、3回出走して、397、396、394キロと徐々に減っていた。

 5月8日には三度、中央競馬の特別指定交流競走、3歳500万下に出走に出走したが、この時の馬体重が、388キロとデビュー以来、最低の数字を記録している。結果は14頭立て14着。さらには骨折も判明して、タカラハニーの引退が決まった。

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▲馬場を元気に走り回るタカラハニー、引退からどんな紆余曲折があったのか…


 競走馬は「経済動物」。競馬の現場で取材する立場でありながら、この言葉を耳にするたびに強い抵抗を感じる。馬たちは人間のために厳しいトレーニングに耐え、命を賭して走り、たくさんの夢や大きな喜びをも与えてくれる存在だ。

 と同時に、馬購入代金に預託料など馬には莫大なお金がかかるのも事実で、それをペイするにはできる限り出走させて出走手当や賞金を得るというのも1つの方法なのだろう。そのような現実を知りながらもなお、競走馬を「経済動物」と割り切るのは個人的に抵抗がある。

 以前、柴田善臣騎手に馬の魅力について尋ねる機会があった。「馬は寄り添ってくれる」というのが答えだった。幼少時から馬と触れ合ってきた善臣騎手の言葉だけに、なるほどなと頷かされた。押しつけがましくなく、そっと人のそばにいてくれる。それが馬の優しさなのだ。

 競走馬を所有する経済力は持ち合わせていない私の綺麗ごとなのかもしれないが、常に人のパートナーであろうとしてくれる優しい馬たちを「経済動物」と括ってしまって良いのだろうか。タカラハニーの戦績や馬体重の変遷を見ながら、改めて考えさせられるのだった。

「私自身の経済力のなさが、本当に悔しいです…」


 タカラハニーもまた経済動物の1頭として、その命の灯が消えかけようとしていた。だが、やはり競走馬を経済動物と割り切れないファンが存在する。自分には引き取る経済力はないが、何とか1頭でも命を繋がってほしいと願い、少しでもその力になることはできないだろうか。そう思案するファンもたくさんいる。タカラハニーの運命は、そのような人々によって変わっていった。

 そのきっかけが、netkeibaの掲示板だった。中国地方在住のMさんは、小柄な体で一生懸命走るタカラハニーのレースを偶然目にして以来、密かに応援を続けてきた。だが前述した通り、京都競馬場でのレース中に骨折し、競走馬生活にピリオドが打たれた。実はMさんにはずっと気にかけている繁殖牝馬がいるのだが、その初子は病のために短い生涯を閉じていた。

「最後の頃、レースで走っている時のハニーちゃんの目が、まるで死んだような感じに映ったんです。牧場のブログにあったその初子が亡くなる時の瞳とハニーちゃんの瞳が重なって見えたんです」

 Mさんは何とかタカラハニーに第二の馬生を過ごさせてやれないかと、いてもたってもいられない気持ちになった。調べてみると、タカラハニーは既に競馬場から畜産牧場へと移されていた。Mさんは様々な事情があって自分1人では引き取ることができず、思わずnetkeibaの掲示板に投稿した。

『偶然この子のことを知り、この板の皆さんの書き込みやこの子の戦歴を見て、悲しくなりました。今この子は退廐になり、畜産の牧場に送られたようです。何とかこの子を見守りたいと考えていますが、経済的に余裕がなく、年齢的なことからも賛同頂ける方達と見守りたいと思います。今は、1人の賛同者の方しかおられません。私と一緒にこの仔を見守り、支えていただける方を募っています』

 タカラハニーの掲示板を遡ると、Mさんによってこのような内容が綴られていた。タカラハニーのラストランの2日後、5月10日のものだ。Mさんはディープインパクトファンでもあったため、ディープの掲示板にも書き込みをした。

 投稿にもあるが、この時点での賛同者は1人。その1人である関東在住のYさんは、自身が好きだったゴールドシップの掲示板に書き込みをして、賛同者を募った。こうしてタカラハニーの存在はnetkeibaの掲示板上で広がっていった。

 MさんやYさんの投稿に呼応して、さまざまな人がハニーの無事を祈り、何かしたいと願った。その中でMさんは、タカラハニーを引き取る際にかかる費用を調べた。

 馬の買い取りに約50万円、預託先となる養老牧場への馬運車代が10万以上、預託料が最低でも月々3万3千円、その他に6か月間の保証費(預託先による)、骨折の治療代や手術代、骨折したタカラハニーに合ったケアをしてもらえる牧場に約1年間預ける費用などがかかることがわかった。

 とてもこれだけの金額を用意することはできない。Mさんは絶望的な気持ちになり、タカラハニーの引き取りを諦める苦渋の決断をした。

 そして投稿した翌日の5月11日に『支えるためのものが集まらず、この仔を救うことを諦めます。私自身の経済力のなさが、本当に悔しいです。この仔を救いたいという想いに賛同していただいた皆様、本当に申し訳ありません。 私の軽率な行動で、皆様にご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。そして、タカラハニー、ごめんなさい』と苦しい胸の内を掲示板に記した。

 掲示板には「自分を責めないでください」などMさんへの温かいメッセージが集まった。Mさんの決断により幕が降ろされるかに見えたタカラハニーの物語は、ここで終わりではなかった。

 掲示板を目にして、タカラハニーがこのまま葬り去られて良いのだろうかという強い衝動に駆られた人がいた。関西在住のKさんだった。早速Kさんは、ネットで検索して1番信頼がおけるように感じた引退馬協会に電話をかける。そして運良く沼田恭子代表と、直接話ができたのだった。


(次回へつづく)

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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