イベリア 橋田厩舎川島助手との運命の出会い/吉田竜作マル秘週報
◆最初に乗った時から“ちょっと違う”印象を受けた
思った通りにいかないことの方が多いのは、どの分野にも言えることなのだろうが、勝負の世界に生きる競馬はその最たるもの。名伯楽・松田博元調教師は「勝てなくても皆が納得してくれれば…。“負け方”が大事なんだ」と口癖のように言っていたものだ。だからこそと言うべきか。狙い澄ました目標を実現できた時の達成感は想像を絶するものがある。
顕彰馬エルコンドルパサーは、渡邊隆オーナーが血統に魅せられ、繁殖馬を購入するところから物語が始まった。母サドラーズギャルのための配合を自ら考え、なかなか手に入らないとされた名種牡馬キングマンボの種付け権を得たことで、誕生した馬だ。幾重にも重なる近親交配のクロスは狂気とも、執念とも取れる。もちろん、渡邊オーナーも最初から成功を確信していたわけではなかろうが、凱旋門賞制覇を夢見て誕生させた馬が、かのロンシャンの地を踏んだ時(1999年)の思いを想像するだけで…。半馬身差で栄冠を手にすることはなかったとはいえ、まさに馬主冥利に尽きる挑戦だったのではないか。
しかし、こうした成功例は本当に少ない。特に生産や育成が大手に“食われがち”になっている現在は、競馬ファンの目にも「夢」より「効率」を求めてサラブレッドが生産されているように映っているのではなかろうか? しかし、効率至上主義とは別のところにあるドラマにこそ、ファンは引きつけられる。3回阪神開催後半にデビュー予定のイベリア(牡=父ディープインパクト、母アドマイヤアモーレ・橋田)と担当の川島助手の出会いには、偶然がもたらしたドラマが…。
「僕はもともとウチのキュウ舎がよく放牧に出す牧場で働いていたのですが、その時にお母さんにもまたがったことがあるんです」と川島助手。母アドマイヤアモーレは現役時3勝を挙げて準オープンまで出世した馬だが、「そんなに走る印象はなかったですね。もっとも僕がまだペーペーだったのもあるんでしょうが…」。まだトレセンに入る前の若者にはピンとくるところがなかったという。
アドマイヤアモーレは引退後、生まれ故郷のグランド牧場へ。その産駒は初子、2番子…と橋田キュウ舎へ来ることはなかったのだが、潮目が変わったのは2015年。アドマイヤアモーレの15がセレクトセール当歳に出され、そこで橋田調教師が見初めたことにより、後にイベリアと名付けられた馬は、母と縁のあるキュウ舎へとやって来ることになったのだ。
ご存じの方もいるだろうが、橋田キュウ舎を長く支えてきた「アドマイヤ」冠の馬たちは先頃“撤退”。オーナーつながりが断たれた中で(イベリアは森田藤治オーナー)、ゆかりのある血統が運命の糸に手繰られるようにして、川島助手の元にたどり着いたわけだ。
「感触ですか? 最初に乗った時から“ちょっと違う”印象を受けた。馬体からしてお母さんよりも大きくて、たくましく感じましたね。芝に入れた時の感じも良くて、グッと沈むようなところがある。まだ子供っぽいし、緩さもあるけど、その中にも、しっかりとしたものを感じます。あとはレースまでに、前向きさが出てくるようなら」
母アドマイヤアモーレとは比較にならないインパクトが、その子イベリアにはある。経験を重ねた川島助手をはじめとするキュウ舎スタッフが、この好素材をどのように育て上げていくのか。“ドラマ”の続きを期待を持って見守りたい。